白雲去来

蜷川正大の日々是口実

安着祝い。

2013-01-14 13:23:14 | インポート

一月十三日(日)晴れ。

今日は、昭和六十二年の今日、私たちが惹起した事件から二十七年目の日。あの日は、前日からの雪で、何か、前途を祝福されているような気がした。そして雪深い北海道は網走での生活を余儀なくされた。先帝陛下が崩御なされ、元号が昭和から平成に変わった。

石原裕次郎や美空ひばりといった昭和を代表する芸能人が亡くなり、時代の移ろいを感じたのもあの頃だった。あれから二十七年か・・・。正に光陰は矢の如し。

夜は、アジア放浪から帰国した杉山茂雄君が来訪し、彼の安着祝いを今年初めての「やまと」で行った。ミャンマー、ベトナム、ラオスなど彼の旅の話を肴に酒がすすむ。二月から、東大東島に行きサトウキビ畑で働くそうだ。そして、お金が溜まったら、次はインド放浪の旅に出ると言っていた。羨ましい限りだ。私の若い頃は、海外に行くのは、とても大変なことで、今と違って、費用もとても高かった。いや海外を旅するという発想すらなかった。

しばらく、海外に出ていない。いずれ、オールド上海を訪ね歩いてみようと思っている。連日の酒で、疲れていたので、「やまと」一件のみで解散。


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同じ県民として恥ずかしい。

2013-01-14 12:58:48 | インポート

一月十二日(土)晴れ。

円安の効果?で、ガソリンの値段が上がっていると言うニュースを見た。しかしながら、これはおかしなことだ。一時、円は一ドル七十円台になったことがあった。しかし、ガソリンの値段は、安くならなかった。かつて一ドルが百二十円の頃よりも、今の方がガソリンが高い。投機的な物とは分かっているが、何か、外国の言いなりで高い物を買わされているような気がしてならない。そして政治の無策にも腹が立つ。

そして、情けないのは、東日本大震災で生じたがれきの問題で、神奈川県が、岩手県の魚網を埋め立てる計画の県営最終処分場(横須賀市芦名)の地元住民で作る大楠連合町内会は、十一日、県に魚網受け入れ案の撤回を求め、交渉の終了を通告する文書を県と横須賀市に通告した。

恥ずかしい話ではないか。同じ日本人が、震災で苦労しているのに、こんなことすら協力できない。放射能の影響が怖いと言うのが理由だそうだが、横須賀港には米軍の原潜や原子力空母などがしょっちゅう寄港している。そこの住民はレントゲン検査を受けたことがないのか。何が「絆」だよ。全く情けない。我が家の裏にでも埋めて、その上に住宅を建てたらいいのに。

夜は、お世話になっている、社友の「虎の門浪人」さんのお世話で、中華街の「菜香」での食事会にご招待された。その後、サリーズバーに転戦。虎の門さんたちが帰った後は、サリーパパと二軒転戦して帰宅。


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中華街が喪服姿の人で溢れていた。

2013-01-14 11:59:18 | インポート

一月十一日(金)晴れ。

 今日は、六時から中華街の広東会館にて、先日亡くなられた鄭さんの通夜式が行われる。午後から事務所に行き細々とした用事を済ませてから自宅に戻り着替えをして友人たちとの待ち合わせの場所へ。合流した年若い友人に、「知っているように鄭さんは中国人で、しかも大変有名な人だから、中国式のお葬式となる。礼儀作法を知っているか」。と言うと、当然「知りません」。

 では教えてあげよう。映画などで見たことがあると思うが、中国の正式な作法は、「三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)と言って、ひざまづいて、頭を地面につけることを三回繰り返すのだから、大変だよ」。と言ったら、「えっ本当ですか。大変ですねェー。」と真剣な顔をするから、可哀そうになり、「嘘だよ」とネタばらししたら、一緒にいる人たちは大笑い。鄭さんも、笑ってくれたものに違いあるまい。

通夜式が始まる十五分ほど前に着いたのだが、参列者の多さには驚いた。サリーファミリーや関内のお店の人たち、鄭さんが総料理長をしていたロイヤルパーク・ホテルの人たちなど、知った顔もあったが、当然のようにほとんどが知らない人たちばかり。六時の開式には、すごい人の列が出来ていた。やっとご焼香の番となって会場に入れば、花に囲まれて、グラスを片手に持った鄭さんの写真が祭壇にあった。生前のご厚誼を感謝してお別れをした。

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通夜式を終えてから友人らと、中華街を歩いて「安記」へ向かったが、中華街では、大勢の喪服の人と方たちとすれ違った。皆、鄭さんの葬儀に来た人たちなのだろう。正に、「棺を蓋(おお)いて事定まる」 。あらためて、鄭さんとのご厚誼に感謝した次第。

その後、サリーズバーで、サリーファミリーと合流。鄭さんを偲んで献杯。友人らと、更に一軒転戦して帰宅。


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