十一月六日(水)晴れ。
午前中に歯医者。治療を終えてから、天気が良いので終了後に「みなとみらい」を歩いた。私が好きなヨコハマの散歩スポットの一つである。桜木町の駅から横浜美術館方面を歩いてから、ヨットの帆の形をしたインターコンチネンタルホテルの裏手に出れば、もうそこは海。
横浜港の潮風に吹かれながら、そのまま赤レンガ倉庫方向へ行く。規模は小さいが上海のガーデンブリッジを思わせるような橋を渡る。赤レンガ倉庫の先には、大桟橋にベイブリッジが見える。森鴎外の「桟橋」や「舞姫」舞台となった場所である。
時間があれば県庁の前を通って、地裁の裏手のコーヒーショップでお茶、と言うのが定番なのだが、午後から入院している後輩を見舞いに行くので、四十分ほどで駐車場に戻った。
午後からの見舞いを終えてから、子供を塾に送り、自宅でのんびり、とはできないのが玉に傷。自宅の裏で宅地の造成工事を行っているので、うるさくて読書や原稿書きに集中できない。仕方がないので、事務所に行ってパソコンに向かった。
私の事務所は、「好きな散歩スポット」ナンバーワンのスタート地点にある。根岸の米軍住宅に続く「いなり坂」を上りきると米軍住宅に突き当たる。入口にはライフルを持った警備員が立っている。そこを左折すると、山手の散歩コースのスタート。すぐに、右手に増徳院というお寺が見える。増徳院は、高野山真言宗準別格本山のお寺で海龍山本泉寺増徳院という。古くから町の人たちの信仰の中心的存在で、元は、元町一丁目、現在の元町プラザの場所にあったが関東大震災で倒壊し、その後一九二八年(昭和三年)に現在の南区平楽に再建した。
この寺の墓所をペリーの意向で外国人の墓地に提供したことから現在の「山手外国人墓地」が誕生した。境内には、大野林火の「彼岸鐘 草木聞けり 鳥聞けり」の句碑がある。
その増徳院を過ぎて中村町方面に降りる坂、「へび坂」の途中に、二十一世紀書院のあるマンションがある。「へび坂」を降りずにそのまま行くと、右手に平楽中学、もう少し歩くと「打越橋」が見える。実は、この橋が「山手」と下町の境である。土地の値段も、橋の手前と先では随分と違うそうだ。ちなみに私の事務所は、橋の手前、「下町」にある。
この打越橋を渡ると、横浜女学院、共立女学院といった名門の女子校があり、外人墓地や港の見える丘公園に続く山手の丘の散歩道。瀟洒な家や教会、フェリス女学院とヨコハマらしい雰囲気を味わえる私の好きな散歩スポットである。続きは、また気が向いたら書いてみたいと思っています。
夜は、酔狂亭で独酌。昭和三十九年に公開された東映の「銃殺ー2・26の反乱」をビデオで見た。主演は鶴田浩二で、決起した安藤大尉の役をやっていた。私は、数ある二・二六事件関係の映画では、安藤大尉にスポットを当てたこの映画が一番好きだ。