十一月一日(金)晴れ。
月が替わるたびに時の流れの速さに恐れおののく。何もせず、何もなさずにこのまま朽ちてゆくのかと思うとご先祖様に申し訳ない。かと言って何か建設的な仕事をしている訳ではないので、天を仰いで嘆息することしばしばである。
昨日の酒が昼まで抜けず、お天道様とまっとうに働いているカタギの衆に、スマン、スマン、オスマンサンコンと三度唱えてのんびりと風呂に入った。着替えようと思ったら書棚にある長谷川三千子先生の「神やぶれたまはず」の背表紙に睨みつけられたので姿勢を正して「反省」とつぶやいた。
今、親しい同志の間では、「『神やぶれたまはず』読んだ」が挨拶のようになっている。群青忌で講演して頂いた犬塚博英さんも、長谷川先生をお招きして、勉強会をやりたいと言っていた。
夜は、親しい人たちとの食事会。四時間ほど歓談して帰宅。寝室の天上に「反省」と書いて貼るか。嗚呼、思い起こせば恥ずかしきことの日々ばかりだ。