白雲去来

蜷川正大の日々是口実

見沢知廉氏のご母堂の訃報。

2013-11-25 22:50:58 | インポート

十一月二十三日(土)晴れ。新嘗祭。

起床後、玄関に国旗を掲げる。恙なく新嘗祭の日を迎えられるこに感謝。子供たちに、新嘗祭の意義を話してから朝食。

正午から、サリーズバーの忘年会に愚妻と共に出席。場所は某ホテルのメインバー。あらら豪華な場所に似合わない人たちが沢山。安い会費なのに、参加の人たちは我儘放題。こちらが恐縮してしまう。いつもの仲良しさんたちと楽しく語らい、飲み食いして二次会はカラオケボックスへ。私は、十分ほどでお暇。

六時から、蒲田にて行われる「新嘗祭感謝の集い」に出席。親しい同志方々との歓談、飲食は楽しい。二時間ほどで解散。

そう言えば、過日、「劇団再生」を主宰している高木尋士さんから電話があり、見沢知廉さんのご母堂が亡くなられたとのこと。言葉に詰まった。私は見沢氏よりもご母堂とのお付き合いの方が長い。いつかご母堂の思い出を書いてみたいと思っている。合掌。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の誕生日でした。

2013-11-25 22:35:41 | インポート

十一月二十二日(金)曇り。

今日は、世間では「いい夫婦の日」らしい。何がいいのか良く分からないが、とりあえず我が家は愚妻や子供たちに平身低頭の日々で恙なくすごしている。この日は上の子供の誕生日。ハッピーバースディ・セブンティーンか。

私の歳にもなると誕生日など嬉しくもないが、子供にとっては人生の絶頂期かもしれない。私の子供の頃は、誕生日など祝ってもらった記憶がない。母一人子一人で育った少年期、生きる事、食べる事で精一杯で、我が家ではハレの日などまずなかった。唯一、正月だけが、母との暮らしの中で物が溢れ幸福感に浸ったものだった。物と言っても、ミカン、お餅に母の手造りのお節料理。それでも三日もすれば、正月料理に飽きてしまい、いつもの粗末なおかずを待ち遠しいと思ったものだ。

暮の商店街の雑踏の中を歩いていると、ふと幼いころに母の手伝いをして荷物を持って歩いている自分の姿を思い出すことがある。小学校の四年生から二年間は新聞配達。中学の三年間は牛乳配達。高校に進学しても、陸上部の練習が終わってから黄金町の駅前にあったバッティングセンターでアルバイト。考えてみれば子供の頃から働いてばかりいたが、わずかな給料を持って行くと、母の喜ぶ顔が嬉しかった。貧乏をしていたが恥ずかしいと思ったことは一度もない。気位の高かった母は、どんな貧しい食事であっても、箸のあげさげ、迷い箸、口を開けて食べたり音をたててはいけない、汁物は「馬鹿の三杯汁」と言って、三回もおかわりしてはいけない。おかずの食べる順番など、躾にはうるさかった。

テレビが我が家に来た小学校の六年生の時。画面に天皇陛下が写ると必ず、正座して姿勢を正す母を見て驚いたことがあった。母が健在だったら、子供たちの大きくなった姿を見てどう思うだろう。勉強などできなくてもいい。ご皇室を尊敬し、弱者に優しい大人になってほしいと思っている。

家族と、カメ&アコちゃんたちと、盟友の古谷喜久男さんに紹介された日ノ出町の川沿いにあるレストラン「リガット」にて食事。何も言わなかったのに古谷氏からシャンペンの差し入れのサプライズ。もちろん喜んだのは大人だけ。食事の後は、子供たちを帰してから、カメちゃんたちとサリーズバーへ転戦。いい一日だった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無所属ではなくて「ムショ族」か。

2013-11-25 14:03:58 | インポート

十一月二十一日(木)晴れ。

今日も東京へ。「創刊200号『月刊日本』を叱咤激励する会」が半蔵門のグランドアーク半蔵門というホテルで行われた。開宴ギリギリに到着。大行社の三本菅会長や朱光出版の阿形会長など日頃から運動でお世話になっている方にまずご挨拶。会場には、民族派はのみならず政財界の方々など多数が出席していた。

可笑しかったのは、元公安調査庁の菅沼氏が鈴木宗男氏の後に登壇し、「今日は無所属の方々が大勢来ていらっしゃるようで」と話した。一瞬、?と思ったら、「いや何処にも所属していないと言う意味ではなく、ムショ族です」と。これには会場の皆さんが大爆笑。一番困ったのは亀井静香センセイ。乾杯の発声と言うのに場面が読めず、十分以上も喋っていたのにはウンザリした。また、かつては権力の中枢にいたのに、そこから外れると、今度は権力の批判をする。醜さを通り越して哀れさを感じたのは私だけではあるまい。

余談ではあるが、かつて「日本」という名のつく雑誌はいくつかあった。「大右翼史」を編纂した荒原朴水先生が出していた機関誌も「日本」、他に商業誌にも「日本」はあった。もちろん現在の「月刊日本」とは違うものだが、活字媒体が衰退して行く中で、200号はたしかにすごい。今後も頑張ってほしいものと思っている。

終了後は、大行社の内川徳彦氏と統一戦線義勇軍の清和崇氏の両氏を誘って「やまと」にて一献。一時間ほどでお暇した。

Photo_2※「月刊日本」です。定価は650円。南丘先生の巻頭言のファンだが、青木理さんの「なぜ、今徳洲会事件なのか」がタイムリーで、この事件の本質が良く分かり興味深い。是非、ご一読をお願い致します。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体調すぐれず。

2013-11-25 13:36:21 | インポート

十一月二十日(水)曇り。

目を覚ましてもまだ体調が良くない。それでも具合が悪いからと言って寝てる場合ではない。やっとの思いで起きて、朝食をとってから近くの銭湯に行って、サウナでじっくりと汗をかいた。

午後から大行社の幹部会議に出席するために東京行き。背広の上に防寒着を着て行った。終了後に六本木で直会。ここで調子こいで飲むと、元の木阿弥と思って、ぐっと我慢した。帰りは大行社の若い人たちと一緒に電車で帰宅。お陰様で二日間の禁酒となった。

Photo

131025_021※群青忌の際に放映いたしましたDVDとパンフです。ご希望の方は090-6300-7075(二十一世紀書院)までご一報ください。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

撃滅の歌

2013-11-25 10:18:36 | インポート

十一月十九日(火)晴れ。

午前中に、お世話になっている方と、横浜公園のすぐ前にある今時珍しい「純喫茶」(今はもう死語か)の「珈琲の大学院」で打ち合わせを兼ねてお茶。その後近くの料理屋にて昼食をご馳走になる。夜は、料亭なのだが昼間にはランチの営業をしている。「焼きサバ定食」をオーダー。そのお店から駐車場まで歩いていると、良い天気にも関わらず、ゾクッとした寒さを感じた。あらら、私の風邪の前兆である。途中薬局で風邪薬を買ってから自宅に戻り、布団に入った。

寒気がおさまらず、ジャージに靴下をはいて掛け布団をもう一枚かけて貰い、久しぶりに海老寝した。夕食時には、お粥を作って貰い、翌朝まで安静にしていた。

過日、戦争末期の昭和二十年の三月に公開された戦時映画「撃滅の歌」を自宅で見た。松竹ホームビデオから発売されている戦時映画の中の一本である。戦時下の青春を力いっぱい生きた三人の女性が主人公で、高峰三枝子、轟夕起子、月丘夢路が主演している。

E53faa861

当然ながら国威発揚の国策映画であるが、それなりに楽しめた。題名から想像すると、激しい戦闘シーンでも沢山あるのかと思うが、本当に青春国策映画である。この歌は、軍歌好きの人によると「最強、最悪の歌詞」であるらしい。主題歌は「米英撃滅の歌」。まあ読んでみて下さい。

米英撃滅の歌

作詞 野口米次郎 作曲 山田耕筰.
①濤は哮る 撃滅の時は今だ
空母戦艦 断じて屠れ
海が彼奴(きゃつら)の 墓場だ 塚だ
海が彼奴らの 墓場だ 塚だ

②風は咆える 覆滅の時は今だ
魔翼 妖鳥 断じて堕とせ
雲が彼奴らの 経帷子

雲が彼奴らの 経帷子だ

(注・経帷子・きょうかたびら=死者に着せる白麻の着物)

③草は燃える 殲滅の時は今だ
鬼畜米英 断じて斃せ
山が彼奴らの 墓標だ墓石だ
山が彼奴らの 墓標だ墓石だ

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする