白雲去来

蜷川正大の日々是口実

初心忘れるべからず。の書。

2014-06-04 18:55:57 | インポート

六月三日(火)晴れ。

毎日、嬉しいほどの良い天気が続いているが、そろそろ入梅。梅の実の熟す頃に降る雨だから梅雨。鬱陶しいが、この雨がなければ作物も育たず、夏に水不足となる。恵みの雨と思って前向きに過ごすしかない。

私の机のわきに常備しているのが「楠本健吉歳時記」と駒田信二著「漢詩名句はなしの話」(文春文庫)、そして渡部英喜著「漢詩歳時記」(新潮選書)、角川小辞典の「中国故事成語辞典」に広辞苑の電子手帳である。それぞれ思い出のある本で、随分と役に立たせて頂いている。

「楠本健吉」の本は、野村先生に、「漢詩名句ー」の本は、森田忠明さんに、「中国故事成語辞典」は西尾俊一さんに、「広辞苑」は、四宮正貴さんにその昔、囹圄の身である時に皆さんから差し入れして頂いたものだ。だからもう二十四年も使っている。さすがに「広辞苑」だけは重いのと字がちいさいので、電子辞書に換えたが、あの時のこと、初心を忘れてはいけないと常に側に置いている。

「楠本健吉歳時記」によれば、「サツキバレ」の「サツキ」は早苗月(さなえづき)の略語と言われている。五月雨月(さみだれづき)の異名もあって、陰暦(太陽暦に同じ)五月のことを言うので、今の暦に直すと大体六月のことになる。だから五月晴れは、五月の晴れた日のことを言うのではなく、「さつきやみ」という言葉があるように、さみだれの降り続くころ、たまたま晴れ間の出た日のことを言うのである。「つゆばれ」「梅雨晴れ間」と同じ意味で使われてきた。

九州が梅雨入りしたとのこと。横浜も木曜日辺りから雨の日が多くなるそうだ。「五月晴れ」の日が待ち遠しくなる日がこれから続く。

少し体調悪く、酒を控えようかとも思ったが、えーいままよ。と月下独酌。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

港の数は多かれど、この横浜に優るあらめや。

2014-06-04 18:20:32 | インポート

六月二日(月)晴れ。開港祭。

午前中に、があーっと仕事を済ませてから、子供を連れて買い物。買い物と行っても今日の夜に開港祭で行われる花火見学の時の酒の肴の仕入れである。

横浜港は安政六年六月二日に開港された。開港時には特にこれを祝う行事などは行わなかったが、翌年六月二日に開港一周年を記念して民衆が山車などを繰り出して祝ったのが横浜の開港記念日の始まりとされている。現在は毎年六月二日が横浜の開港記念日と定められており、横浜市立の学校は休業日となる。今日の「横浜開港祭」は毎年六月二日およびその前後、神奈川県横浜市にて開催されるイベント。主催は横浜市・横浜商工会議所・横浜観光コンベンション・ビューロー・横浜青年会議所から構成される「横浜開港祭協議会」。

ちなみに横浜市歌は、明治四十二年七月一日に横浜港の新港埠頭で行われた「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で、初めて披露された。以来、市民に広く歌い継がれている。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は東京音楽学校教師の南能衛(よしえ)。この曲は、横浜市が東京音楽学校に仲介を委託し、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り、完成させたものである。森に対する作詞謝礼は百円、南に対する作曲謝礼は五十円だったそうだ。

五時に、志村馨親子、松本佳展君や小枝ちゃん、小沢君などに迎えに来てもらい会場となっているみなとみらいへ。途中で偶然にご町内の「たつ屋」の皆さんと会い、後で合流しましょうと約束。待ち合わせの駐車場には小針政人君とその仲間たちや静岡の金森和尚たち。そしてカメ&アコちゃんたちが来ていた。

映画の題名ではないが、「暗くなるまで待って」から、花火とレーザー光線のショウを堪能。皆さんとても感激をしていた。終了後に、古谷喜久男氏やカメちゃんを誘って「やまと」へ。楽しい一日でした。

Dscf6562 ※仲間たち。写ってはいませんが隣はご夫人たち。総勢二十二名のお友達と。

写真: おはようございます。 昨日は、横浜開港祭に行ってきました! 参加者は、蜷川先生をはじめ大行社の小針さん、小澤塾長、大悲会志村さん他、色んな仲間総勢20名余り(笑)結構大人数でした。 とても楽しい席になり良かったです! 毎年ありがとう!T君! 今年初の花火大会の写真です!提供小澤君!※こんな感じです。提供は小沢君。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寛永寺から鶯谷。

2014-06-04 17:42:16 | インポート

六月一日(日)晴れ。

やや二日酔い気味である。バサッとシャワーを浴びて、身をきりりと引き締めて(生麩のような体ですが)、朝食にむかう。サバの文化干し、おしんこ三種(きゅうり、なす、大根)に、気休めの「シジミスープ」。

今日から六月か。手紙の季語も夏に近づく。入梅の候、 初夏の候、向暑の候、薄暑のみぎり、小夏のみぎり、と。手紙や葉書きを頂いても季節を感じるなんて、何と日本人は風流じゃございませんか。

午前中に東京行き。今日は上野の寛永寺にて、大行社の総師であった故岸悦郎先生の十三回忌法要が行われる。十二時半過ぎに、アメ横のスタジャン屋さん「大熊商会」にて大熊雄次氏と待ち合わせ。ここからだと、寛永寺までは歩いて二十分程度なのだが、今日の東京は何と三十三度という真夏日。長そでのシャツに背広姿では、二十分の歩きは無理で、タクシーで向かった。

二時から法要が開始され、三時に終了。関係者の皆さんや諸先輩にご挨拶をして幕末の彰義隊や篤姫のお墓などで有名な寛永寺を後にした。大熊氏から、暑いので軽く一杯と誘われた。断る理由など当然ない。むしろこちらから誘おうかと思ったくらいだ。いつもならアメ横の「新東洋」で台湾料理で紹興酒なのだが、この暑さで脂っこいものはパスして、大熊氏のご推薦で鶯谷駅のすぐ横にある「望公荘」というもシブイ蕎麦屋に入った。

街中の蕎麦屋なら休憩の時間なのだろう、昼下がりにもう少し陽の下がった時刻。客は私たちだけ。とりあえず焼酎のお茶割りに肴は「板わさ」に「玉子焼き」という蕎麦前の王道を頼んだ。良い風情の店だ。玉子焼きも昔ながらの味で、酒の肴には丁度良い。しかし惜しむらくは、お茶割りのグラスが、普通のサイズだったこと。

落ち着いて周りを見ると、ふらっと池波正太郎先生が着流しで入ってくるような錯覚を覚えた。大熊氏はこの手の下町の名店を良く知っている。何とこの辺は地元とのこと。中学生の頃に、おふくろさんと来たが最初と言っていた。そば湯割りを最後に「せいろ」(もりそば)にして〆。いやー味も店の佇まいも良かった。

20061109203915s1 ※蕎麦屋、望公荘。

アメ横を冷かしてから、御徒町から電車に乗った。横浜駅に迎えに来てと連絡をして、しばらくウトウトして何気なく駅を見たら「代々木」だ。?を五つぐらい数えた後で気が付いた。京浜東北に乗ったつもりが山手線に乗ってしまった。バカ野郎、この野郎と自分を罵って、仕方がなく新宿まで行って、湘南ラインに乗り換えて帰った。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする