白雲去来

蜷川正大の日々是口実

横浜に雷注意報で平塚雷鳥?

2014-06-24 23:01:16 | インポート

六月二十四日(火)曇り後雨。

のっけから尾籠(びろう・きたなくて人前で失礼にあたること)な話で恐縮だが、先日胃カメラの検査をしてから、数日後に「ピロリ菌」の検査をするからと渡されたのが検便のキット。ううう検便など何十年ぶりである。

それを提出したら一週間ほどして「陽性なので呼吸の検査をするのでもう一度来てください」と連絡があった。それも朝から、水もダメ。飲まず食わずということなので、大好きな朝食を我慢して朝一番で病院へ行った。

まず、①検査容器に息をぷーっと入れる。②薬を一個、噛まずに水で五秒以内で飲む。③左を下にして五分間横になる。④その後に15分座っている。⑤再び息を検査容器に入れる。これでおしまい。結果はまた一週間後とのこと。まあ歳を取ると、歳なりにあちこちが傷んでくるから仕方ないか。

遅い朝食は、頂き物のマグロの味噌漬け、自家製のキュウリのおしんこと近所の肉屋さんで買った餃子。その餃子だが肉の卸問屋の前に「肉屋さんが作ったお肉たっぷりの餃子・50個、1296円」。とあるので前から気になっていたので、今日買ってみた。まあ値段なりに美味しい方でした。でももう買わないかな。

朝から天気が悪い。横浜に雷注意報が出た思ったらゴロゴロと鳴った。雷と言えば、明治の女流の平塚らいてうは、「雷鳥」とも書く。冬になると羽が純白になるのがきれいで「雷鳥」としたが、「雷」の字が嫌なので、ひらがなで「らいてう」としたそうだ。明治四十四年、雑誌「青鞜」の発刊を祝って、彼女が寄せた文章の表題、「元始、女性は太陽だった」との言葉は、その後、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとなったことは有名である。

平塚らいてうの話をもう一つ。金持ちのおばちゃんが若い男を囲うことを俗に「若いツバメ」と言うが、これも彼女らの雑誌「青鞜」に由来する。当時「青鞜」には、岡本かの子、山川菊栄、田村俊子、野上弥生子、高村光太郎の奥さんの千恵子、伊藤野枝、市川房江、与謝野晶子(さて、皆さんはこのすべての女性を知っていますかな)といった錚々たる女流が集っていた。私なんか名前を聞いただけで萎えてしまう。

余談ではありますが、野上弥生子先生は、1948年 - 日本芸術院会員、1957年 - 『迷路』で第9回読売文学賞、1964年 - 『秀吉と利休』で第3回女流文学賞、1965年 - 文化功労者、1971年 - 文化勲章、1981年 - 第51回朝日賞、1986年 - 『森』で日本文学大賞、という凄い作家で、更にご子息も皆さん立派な方ばかり。長男の野上素一先生は、京都大学教授でイタリア文学者。東京大学教授で物理学者の野上茂吉郎先生は次男、保守派論客で哲学者の長谷川三千子先生は、東京大学教授で物理学者の三男野上耀三先生の娘さんなのである。

平塚は二十八歳の時に三歳年下の画家、奥村博史と同棲していた。「青鞜」の表紙絵を書いていたのが彼である。「青鞜」は書生だけの雑誌であり、正に女の園、そこに奥村が入り込んできたために、後に「サンデー毎日」の編集長となる新妻莞が、「水鳥の群れに、若いツバメが飛んできて、ひっかきまわした」と批判したことから、「ツバメ」が、年下の若い男の愛人として使われるようになった。このエピソードは、嵐山光三郎さんの「文人悪妻」(新潮文庫)に出てくるエピソード。奥方の研究には最高の本ですぞ。

天気は悪いし、空からゴロゴロと雷様がお怒りなので、一日真面目にPCの前で仕事をしていました。夜は、酔狂亭で、雨の音をBGMに独酌。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の音楽コレクション。

2014-06-24 14:39:41 | インポート

六月二十三日(月)曇り。

六時半に起床。朝食は卵を二個、サニーサイドアップで焼いて、大好きな「赤ウインナー」にキャベツの千切り添え。肝臓を労わって「しじみの味噌汁」。

食後は、事務所にて機関誌の発送の段取り。本号から、お世話になっている購読者の皆さんに定期購読の更新に際してささやかな「読者プレゼント」をさせて頂く。まあ別段大したものではないが、私のコレクションのCDをお送りすると言うものである。今回は、三枚の内から一枚を選んで頂いた。

Photo ※「昭和維新の歌」と題して、北帰行、馬賊の唄など10曲を収録。

Photo_2 ※「野村秋介絶唱」。最晩年に川崎のスナックで録音した私家版。麦と兵隊、戦友、加藤隼戦闘隊、同期の桜、傷だらけの人生、北の旅人、さすらい、群青、に野村先生が作詞した「青年賛歌」など14曲を収録。

Photo_3 ※「流浪の旅」。一献歌、流浪の旅、蒙古放浪歌、星落秋風五丈原、雷撃隊の歌など11曲を収録。

上記三枚のうち、希望するものを機関誌の更新時にお送りさせて頂きます。また定期購読者で更新ではなくともご連絡を頂けましたならお送りさせて頂きます。更に貴重な音源を加えて行きたいと思います。

そのうちに、貴重な戦前、戦後の映画やドキュメンタリー、新たな音楽CDなども社友及び定期購読者の皆さんにお送りする予定でいます。

夜はおとなしく、酔狂亭で月下独酌。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二週連続でBBQ。

2014-06-24 13:27:32 | インポート

六月二十二日(日)小雨降ったり止んだり。

今日は、午前中に戸塚で小針政人君たちの主催するBBQがあるので、朝食は軽めに「白粥」にした。下の子供だけは、「お腹がいっぱいにならない」と言うので別メニュー。

十時半ごろに保土ヶ谷駅にてカメ&アコちゃんと待ち合わせて戸塚へ。戸塚でサリーとサリーパパと合流。大行社の相模塾の若い人たちに迎えに来て頂きBBQ会場へ。先週に続いてお酒の掛は松本佳展君とヘルプは小枝ちゃん。志村馨君と若い人が先着していた。

屋根のある場所なので雨の心配はない。丸川仁本部長や参加している人たちのほとんどが顔見知りばかり。運動関係者よりも一般の人が多い。小針君に代わって後輩の小沢直人君が新たに相模塾の塾長になっことにお祝いと激励を兼ねたBBQである。酒は美味しいし、出てくる料理はこれまた美味しい。更に集まる人たちも気の置けない人たちばかり、これで楽しくないわけがない。すっかりご馳走になって四時間もいてしまった。

帰りに、私の家の近くのバーミヤンで打ち上げ。ヘロヘロになって帰宅。早めに寝てしまった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日、機関誌づくり。

2014-06-24 12:54:51 | インポート

六月二十一日(土)晴れ。

朝食は、アコウダイのかす漬け。私の好きな物だが家族はパス。良いものを買ってきて私だけが食べる。誰に遠慮がある訳ではないので、ふふふという感じだ。家族は昨日の牛丼の残りを食べている。きゅうりの糠漬けはやはり私用。私が子供の頃は、糠漬けや白菜漬けが好きだったが、ウチの子供たちは見向きもしない。考えてみれば食の好みが違うということは、自分の好きな物を一人で食べることができると言う利点がある。

朝食後は、すっ飛びで事務所へ。わき目もふらずに機関誌の印刷。印刷機が新しいのでスムーズに動いて嬉しい。印刷している間は蔵書の片づけ。インターネットでの古書販売を行う予定なので趣味の中国史関係の本や楽しみに読んだ本などは、隅の書棚や段ボールに収まって貰い、政治思想関係の本ばかり書棚に並べた。もう少しで整理整頓が終わるので頑張ってデーター化したい。お楽しみを。

夜の九時過ぎになってようやく印刷と製本が終了した。家に帰ったのは十時近く。シャワーを浴びてから自分にご褒美にと(まいにちご褒美を貰っているようなものだが)軽く飲んでから、録画しておいた「ハリケーン」という映画を見た。元ボクサーの冤罪を晴らすために周りの人と協力して、無罪を勝ち取ると言う何やら袴田事件の米国版のような映画だった。とても感動した。

203 ※機関誌の第203号です。表紙の写真は、スペインはトレドでの野村先生。見本誌を請求の方は、1000円を添えて〒232-0035横浜市南区平楽148-3-312号㈱二十一世紀書院まで。メールでご注文の方はsnforever@proof.ocn.ne.jp

203_2 ※第203号の内容です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする