六月二十五日(水)曇り。
朝食は、マグロの味噌漬け、シジミの味噌汁、キュウリの糠漬け。朝食後は、真面目に仕事。たかが「ヤジ」で連日大騒ぎ。アホじゃないの、と思う人も多いのではないだろうか。どうでもいいけれど「ヤジ」ももっとウイットに富んだものを言えないかね。随分前に都市対抗野球を見に行ったことがあった。日本生命と、相手チームは失念したが、日本生命のバッターにデッドボールが。その時、ぶつけた方のチームを応援していた人が、「心配するなー。相手は保険会社だぁー」。周りは笑いの渦。いっぺんで和やかになった。ヤジとはこうありたいものだ。
結婚もしていないのに、「男と別れるときは必ず慰謝料払わせる。最高で1500万払わせた」と、得意顔で言っていた女がいた。ある意味「恐喝」に近い。我が国では昔からこういう女は世間から「性悪女」とか「阿婆擦(あばずれ・悪く人ずれしてあつかましい者。すれっからしの意)」と陰口をたたかれたり、お上品な人たちからは「御里が知れる(おさとがしれる・言葉つきや動作によって、その人の素性や育ちが分かる)」と言われたものだ。
都議会で、どんな高尚な意見を述べていたかは知らないが、恐らく、党の誰かに書いて貰ったものかもしれない。もし、自分の頭で考え、書いた上での意見ならば、あの程度のヤジに反応することもなかったと私は思う。黙って睨みつけるか、「黙って聞きなさい」ぐらいのことを言えると思うのは、「恋のから騒ぎ」でのあのおんなのキャラを見たからだ。人の書いた物を、良く咀嚼しないで読んでいたからこそ、ヤジなどが気になるのだ。と言われても仕方あるまい。同じヤジをおんなに言えばセクハラで、では男に言ったらどうなる。都議会に関わらず、国会での下品なヤジの応酬を聞いていると、まるで猿山の猿と同じ程度であることが良く分かる。
今風に言えば「オバカキャラ」のおんなが、いつの間にか都議に転身か。どんな心境の変化があったのかいつか聞いてみたいものだ。いや本当はバラエティーに出ている時の姿は「芸」で今の私が本当の姿だと開き直るかもしれない。
マスコミは、あのおんなをジャンヌダルクにするつもりらしいが、どっこいそうはいかないだろう。その気になっていると、因果応報いずれスキャンダルが出る。政治家としての才能に注目されたわけではないのだから、この辺にしておかないと、それこそ御里が知れる。「担ぐ神輿は軽い方が良い」とマスコミはおんなを利用して自民党そのものの責任に転嫁しようとしていることがミエミエである。
ミエミエと言えば、ミヤネエとか言う男が、ヤジを飛ばした議員の倫理観を批判していたが、テメェだって女房がいるのに、新地のホステスを孕ませて子供を産ませたことがあるんじゃないの。下品な表現で恐縮だが、目くそ、鼻くそを笑うとはこのことだ。
最初は白を切っていたのに、後で認めてしまい、おんなに最敬礼か・・・。尖閣に乗り込んだこともパフォーマンスと言われても仕方がない。あんな姿を世間に晒すのならば、謝らずにさっさと辞職した方が男らしい。奥さんや子供さんたちが、おんなの前で最敬礼をする父の姿を見たらどんな思いになるだろう。出処進退のタイミングは難しい。だからこそ先人は「葉隠」に学んだのである。野村先生は、銀座の乞食だって土下座して物を乞わないのに、政治家は平気で人前で土下座する。そんな奴は、もともと卑しい精神の持ち主だ。と言っていた。
夜は、小針政人君と関内駅にて待ち合わせ。FBの「ともだち」、堀 芳康さんとの一献会を催す。関内駅にて、堀さん、ご友人の中野実さんと合流。堀さんとはFBで交流があるので、とても初めてお会いするとは思えない。中華街の「菜香」へ。紹興酒と美味しい飲茶を肴に憂国談義に花が咲く。二時間ほどいて再会を約して別れた。私と小針君はサリーズバーへ。社友の古谷喜久男氏と合流して楽しい酒席となった。久しぶりに日にちをまたいで帰宅。