十一月十二日(水)曇り。
朝食は、サバの文化干しに大根おろし添え、船納豆に汁物は「赤いキツネ」の小カップ。私は、ご飯は朝食の時一回だけ。昼は、日本蕎麦とかなるべく軽いものですませ、夜は、刺身やサラダ類。といったメニューをもう十年近く続けている。夜に会合や食事会などがある時は、なるべ昼食はとらない。まあそれが良いのか悪いのか分からないが、一日の摂取カロリーを考えての食事にしている。
食後に出かけようかとも思ったが、上の子供が熱を出して学校を休んだので、出かけずに家にいた。そんな訳で、昼食は、消化の良いものと「稲庭うどん」。そして夕食は「お粥」を作ってあげた。この子の小さい頃、熱を出しても、タオルを額に乗せるのをとても嫌がった。仕方がないので、枕元に洗面器を置いて、私の手を冷やして、額に当ててやると安心して眠った。しかしこちらは何時間も左右の手を交代に冷たい水につけて看病するのだから、結構しんどかった。さすがに今はそんなことをすることもなくなったが、熱を出して辛そうにしている子供を見ると、小さかった頃にしてあげたことを思い出す。
昭和二十一年の五月にはじまり、二年有余の審理を続けた極東軍事裁判、いわゆる東京裁判において東條英樹らA級の戦争指導者七名に死刑判決が出たのが昭和二十三年今日。その殉国七士の一人である陸軍中将、武藤 章の辞世は「霜の夜を思い切ったる門出かな」。東條らの死刑の執行は、その年の十二月二十三日、すなわち当時の皇太子殿下(現、天皇陛下)のお誕生日に合わせたのである。その人たちの遺骸は、私が通った小学校のすぐ近くにある久保山火葬場にて荼毘に付された。民主主義国家などと言うが、アメリカの仕打ちは、有色人種に対する蔑視そのものである。
また関東軍参謀、陸軍大将、板垣征四郎の辞世は、「なつかしき中国人よいまもなお東亜のほかに東亜あるべき」。誰かこの辞世を習近平にとどけておくれ。
朝食は、サバの文化干しに大根おろし添え、船納豆に汁物は「赤いキツネ」の小カップ。私は、ご飯は朝食の時一回だけ。昼は、日本蕎麦とかなるべく軽いものですませ、夜は、刺身やサラダ類。といったメニューをもう十年近く続けている。夜に会合や食事会などがある時は、なるべ昼食はとらない。まあそれが良いのか悪いのか分からないが、一日の摂取カロリーを考えての食事にしている。
食後に出かけようかとも思ったが、上の子供が熱を出して学校を休んだので、出かけずに家にいた。そんな訳で、昼食は、消化の良いものと「稲庭うどん」。そして夕食は「お粥」を作ってあげた。この子の小さい頃、熱を出しても、タオルを額に乗せるのをとても嫌がった。仕方がないので、枕元に洗面器を置いて、私の手を冷やして、額に当ててやると安心して眠った。しかしこちらは何時間も左右の手を交代に冷たい水につけて看病するのだから、結構しんどかった。さすがに今はそんなことをすることもなくなったが、熱を出して辛そうにしている子供を見ると、小さかった頃にしてあげたことを思い出す。
昭和二十一年の五月にはじまり、二年有余の審理を続けた極東軍事裁判、いわゆる東京裁判において東條英樹らA級の戦争指導者七名に死刑判決が出たのが昭和二十三年今日。その殉国七士の一人である陸軍中将、武藤 章の辞世は「霜の夜を思い切ったる門出かな」。東條らの死刑の執行は、その年の十二月二十三日、すなわち当時の皇太子殿下(現、天皇陛下)のお誕生日に合わせたのである。その人たちの遺骸は、私が通った小学校のすぐ近くにある久保山火葬場にて荼毘に付された。民主主義国家などと言うが、アメリカの仕打ちは、有色人種に対する蔑視そのものである。
また関東軍参謀、陸軍大将、板垣征四郎の辞世は、「なつかしき中国人よいまもなお東亜のほかに東亜あるべき」。誰かこの辞世を習近平にとどけておくれ。