白雲去来

蜷川正大の日々是口実

冬将軍到来。

2014-11-26 16:51:55 | 日記
十一月二十日(木)曇り後雨。

この時期は、一雨ごとに寒くなって行く。そして本格的な冬将軍がやってくる。この「冬将軍」という言葉だが、冬にシベリア方面からやってくる、強い季節風がもたらす厳しい寒さを表す言葉で、出典はナポレオンを敗退させた厳冬の史実にちなんでつけられたものだそうだ。敗退したのはナポレオンだけではなく、モスクワ侵攻を前にしてヒトラーの軍隊が撤退を余儀なくされたのも、この冬将軍だった。

札幌の社友の梶浦直樹氏は、この寒い季節に夜釣りに出たと言う。釣った魚をリリースしてしまうとはもったいない。持ち帰って鍋にでもしたならばさぞかし体も心も暖まるに違いない。支那は唐の時代の詩人で柳宗元と言う人の詩に「江雪(こうせつ)」と言うものがあって、梶浦氏のFBを見ていたら、その詩が浮かんだ。

千山鳥飛ぶこと絶え 万径人蹤滅(しょうめつ)す 孤舟蓑笠の翁 独り釣る寒江の雪 (多くの山々には、鳥の飛ぶ姿もなく、多くの小径にも人の足跡もなくなってしまった。ただ一そうの小舟に蓑と笠をつけた老人が、一人で雪のふりしきる川面で釣り糸を垂れている)

梶浦氏は老人ではないが、この時期の小樽の海岸、雪こそ降ってはいないが、想像しただけで、ぶるっと身震いをしてしまう。その昔、冬の海岸でキャンプをしながら釣りをしたことがあるが、さすがに夜は納竿した。暖かくなったら、小樽の岸壁で、私の「落とし込み」の秘儀を披露してみたいものだ。

※写真は、もう30年も前、横浜港の白灯台でクロダイ釣りをしているもの。一緒に写っているのは、モロツコの辰、長谷川辰五郎と共に「横浜の三辰」と言われた塚越辰夫氏。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「我らの教典」

2014-11-26 12:04:46 | 日記
十一月十九日(水)晴れ。

午後から大行社の幹部会に出席。会議が始まる前に私と同じく大行社の役員をしている四宮正貴先生と歓談。その中で、かつて荒原朴水先生が編纂された「我らの教典」という本の話になった。生前、荒原先生は「左翼にはマルクス、レーニンの理論書がある。我々にもそれらに匹敵する物があるということを広く世に知らしめよう」として、右翼・民族派の為の「我らの教典」を編纂された。

現在、手許にはないので(事務所の書庫にはあるが、これをアップしているのは自宅のPCなので)正確なことを書けないが、確か、「純正日本主義」「国家者拝主義」の名著が紹介されている。その中に収められている杉本五郎中佐の「大義」は、私が荒原先生に献本したもので、「我らの教典」の巻末で謝意が書かれている。こういた名著を再販することは中々難しいので、せめてどんな名著があるのかを紹介しようということになった。いずれ私の機関誌に掲載するつもりでいる。

夜は、「やまと」で軽く飲んでから帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健さん死す。

2014-11-26 11:16:10 | 日記
十一月十八日(火)晴れ。

朝食は、アジの干物に豆腐の味噌汁に「やまと」から頂いた白菜の漬物。実は、この白菜の漬物を食べるたびに子供の頃の記憶がよみがえってくる。母一人、子一人の生活で、私の家だけでなくまだ日本もそれほど豊ではなかった時代。朝食と言えば、一汁一菜が基本だった。稀にアジの干物が出たが、本当に稀だった。白菜の漬物の葉の部分にご飯を少し乗せて、くるっと巻いて食べた。母はこれを「白菜のり巻き」と言って良く作ってくれた。不思議と、それだけでご飯のお代りが出来た。私は、今でもこれが好きで、従って白菜の漬物は葉っぱの部分ばかりを食べてしまうのでいつも家族から顰蹙を買う。

近くに住んでいた親戚の家に行った時など、アジの干物を食べた後に、それをおわんに入れて醤油を少し垂らしてから熱々のお湯をかける。骨の周りに少し残っているものをお湯の中に落として飲む、いわゆる「骨スープ」と言われるものだが、富山の滑川の漁村で育った母は、絶対にこれをしなかった。家に帰ると、我が家の貧しさを棚に上げて、「貧しいねェ-」と嘆いていた。今朝のアジの干物の残ったものを見て、久しぶりに「骨スープ」をやってみようかとも思ったが、母に「よしなさい」と言われそうなのでやめた。

午前中に、テレビの速報で「健さん」として愛された高倉健が亡くなったとのテロップが流れた。偉大な映画スターと「死」というものがすぐに結びつかなくて、中々頭の整理がつかなかった。美空ひばり、石原裕次郎に高倉健。本当に昭和が遠ざかって行く。健さんの映画で好きな物は「幸せの黄色いハンカチ」と「網走番外地」のシリーズだ。どれも故郷?の映画だ。ご冥福を。

※写真は学生運動で紛争中の1968年東大駒場祭の折のポスター。コピーライターの橋本治の「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」のコピーと健さんをイメージしたポスターが当時話題になった。写真は町田仁志氏のサイトより拝借。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする