白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「大空のサムライ」と山口二矢烈士。

2014-11-05 08:41:43 | 日記
十一月二日(日)晴れ。二矢忌。

本日11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した国士・山口二矢の命日である。二矢は、昭和18年2月22日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。社会党、浅沼稲次郎を刺殺したのが10月12日。練馬鑑別所で自裁したのが11月2日。「二」という数字は烈士にとって運命であり宿命でもあったのだろう。とは「爆ちゃん吼える」からの引用である。詳しくはそのブログをご一読頂きたい。

余り知られていないことだが、かつて撃墜王と言われた「大空のサムライ」こと零戦のパイロットであった坂井三郎氏は、山口二矢烈士を評価していた。坂井氏の娘さんが書いた「父、坂井三郎-『大空のサムライ』が娘に遺した生き方」(坂井スマート道子著・産経新聞出版)の中に、「本当の覚悟ー山口二矢と『仇討』、腰の構えに覚悟が見える」と題して、坂井氏の烈士に対する思いが描かれている。

ある時、坂井氏と娘さんがテレビで時代劇を見ていて話題が仇討の話になると、坂井氏はいきなり二階から古い新聞を持って来た。それは山口烈士が、浅沼稲次郎を刺殺する瞬間を撮った有名な写真である。その写真を見ながら坂井氏は、「自衛隊の廃止を訴えていた社会党の委員長である浅沼を倒すことは、自衛官である父や自衛隊に対する敵討ちでもある」と論じた。少々長くなるが、「腰の構えに覚悟が見える」と題した一文を転載してみたい。

 ここで父は改めて、写真の中の山口の姿を私に示しました。「この足のふんばりを見てみろ」父によれば、興奮して包丁を振り回すような人は全く腰が入っていませんが、山口は外足を直角にふんばり内足は相手に向け、短刀の束を腰骨にあてがい、戦闘の構えが理屈にかなっていると言うのです。武道の訓練を受けていたのかもしれませんが、それにしてもこの若さでこの構えはなかなかできない。山口の構えには覚悟が見えると。
 父はこの写真を通じて、本当の覚悟というものを私に教えたかったのではないかと思います。山口はこの後、少年鑑別所で白決しています。もちろん彼の行動は過ちであり犯罪ですが、覚悟を決した行動にけじめをつけて自決して果てたのは、いわば武士道の一つの典型であると。一族を守るという自分の意志を貫き、その結果選んだ手段、つまり人の命を奪ったということに対して、責任をとって自決するという自己制裁の道を選んだ根本に、山口の武士道的解釈があったと、父は考えたようです。
 そして、そういう生き方は誰にでも当てはまるものではないし、また彼の行為を決して美化してはなりません。「この若さで、それぐらいの覚悟で生きている者もいる」ということを、父は言いたかったのでしょう。
 この時見せられた山口の腰構えもさることながら、私はその顔つきが今も忘れられません。自分を取り押さえようとする手には目もくれず、正面の浅沼委貝長を見据えているのですが、その口元が少し開いて白い歯が見えるので、少し笑っているようにも見えるのです。この写真がその年のピューリッツァ賞を取っていたとは、後になって知ったことです。
 さて、このお説教の後、父は不意に「お前も練習だ」と言い出しました。「七つ道具」から出した竹の定規を私に握らせ、山口と同じ構えをせよ、と言います。もう離しい話は終わったようだと見計らって戻ってきた母が、「まあ、そんなことまで娘にさせるなんて」と眉をひそめますが、父は耳を貸しません。「士族の娘なら、十三を過ぎれば敵と差し違える技や覚悟、乱れない死に方ぐらいは心得ているものだ」その練習がしばらく続き、戸惑う自分と妙に興奮する自分に、不思議な感覚が走ったのを覚えています。嫌ではなかったのです。最後には、二人とも笑ったりもしたものですが、山口二矢をお手本に「ふんばり」と「腰の突っ込み」を手ほどきしてくれた父の真剣な眼差しが忘れられません。※引用終わり。

のんびりした休日。三時過ぎまで機関誌の編集。終了後は「みなとみらい」から伊勢佐木町を散策。陶器市が行われていたので、安いものをいくつか買ってから帰宅。久しぶりにカツオを見つけたので、ふふふと晩酌。


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