白雲去来

蜷川正大の日々是口実

燈火親しむ。

2015-10-08 11:24:37 | 日記
十月二日(金)曇り。

群青忌が近くなると、何となく気忙しい。忙しい。何て事を言うと、「暇人の言い訳」と言われそうだが、本当にいそがしいのだから仕方がない。午後から、東京行き。お世話になっている方の会社、二ヵ所へ挨拶。

帰宅したらもう夕方である。買い物をする時間が無かったので、ありあわせの物で独酌。食後は、過日、新聞の書評で知った阿川弘之氏の座談集『文士の好物』(新潮社)を相手に再び飲んだ。日本では、リベラルと言われる人たちにはなぜか左巻きの人が多い。本来の自由主義と言う意味から逸脱して、リベラル、イコール左翼というイメージが強い。なぜ堂々と社会主義者と言わないのか不思議でならない。本人は否定するかもしれないが、阿川弘之氏などが真のリベラリストと言えるのかもしれない。

韓愈の詩ではないが、涼しく夜の長い秋は、灯火の下での読書に適している。たまに「燈下」や「灯下」と書かれたものを見るがこれは誤用である。

時秋積雨霽 時秋にして積雨霽(は)れ         
新涼入郊墟 新涼 郊墟に入る             
燈火稍可親 燈火稍(ようや)く親しむべく       
簡編可卷舒 簡編 卷舒(けんじょ)すべし 

横浜生まれの大野林火の句に「燈火親し草稿の燈にぬくむさへ」がある。また私の事務所のすぐ近くにある増徳院というお寺に、林火の「彼岸鐘 草木聞けり 鳥聞けり」の句碑があり、港の見える丘公園にも林火の「白き巨船 きたれり春も 遠からず」の碑がある。林火は明治時代に横浜の日ノ出町付近で生まれたそうだが、作家の長谷川伸も日ノ出町の生まれである。その時代は、日ノ出町辺りから、日の出が見えたのだろうか。現在の京急の日ノ出町駅周辺は当然ながら、その面影の片鱗も感じられない。冬になって雪が降ろうが、降るまいが、明治は遠くになりにけり。である。


      

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