白雲去来

蜷川正大の日々是口実

情報戦の敗北か。

2015-10-18 17:53:34 | 日記
十月十四日(水)晴れ。

六時に起床。それから家族が出かける二時間が慌ただしい。皆が出かけて行った八時にゆっくりと朝食。家族には評判の悪いマルシンのハンバーグ、赤ウインナー、目玉焼きにキャベツの千切り。といった昭和のメニューだ。今日のソースは、「フクイのカレー」で有名な福井さんご推薦の「コーミー・ソース」の濃口。つい頬が緩む。

そう言えば、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が、中国が申請した「南京大虐殺文書」を世界記憶遺産に登録したという。中国政府の年来の「南京大虐殺」に関する一方的な主張に国連機関が認定を与えた形となり、日本にとっては極めて不当な措置だと言える。とんでもないことだが、こうなる前になぜ日本は阻止できなかったのか。正に外交戦、情報戦での敗北である。これまでなぜか日本は中国や韓国に遠慮してきた。アメリカにNOと言える勇気があるなら、中国や韓国の理不尽な振る舞いにこそ、断固NOと言うべきではないだろうか。金を出す代わりに言うべきことは、きちんと言うべきである。

自民党が十四日にまとめた「中国が申請した『南京事件』資料のユネスコ記憶遺産登録に関する決議」の全文は次の通り。

今般、中国が国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に登録申請していた「南京事件」に関する資料が登録された。日本政府は、中国側に対して申請取り下げを申し入れるとともに、申請書類の共有や日本人専門家派遣の受け入れを要請してきたが、中国側はこれに全く応じなかったと承知している。一方的な主張に基づいて登録申請を行うという今回の中国側の行動は、ユネスコという国際機関の政治利用であり、断じて容認できない。また、ユネスコは、本来、メンバー国同士の問題に対しては、国際機関として中立・公平であるべきであり、今回登録された案件のように、中国側の一方的な主張に基づく申請を、関係者であるわが国の意見を聞くことなく登録したことに強く抗議する。
こうしたことを踏まえ、政府は中国に対し、ユネスコをはじめとする国際機関を、これ以上政治的に利用しないよう強く要請すべきである。また、ユネスコに対しては、本「南京事件」登録を撤回するという新提案を直ちに行うこと、さらにユネスコ設立の本来の目的と趣旨に立ち戻り、関係国間の友好と相互理解を促進する役割を強く求め、記憶遺産制度の改善を働きかけ、ユネスコへの分担金・拠出金の停止、支払い保留等、ユネスコとの関係を早急に見直すべきである。
さらに、二年後の次回登録に向け、わが国主導による「南京事件」および「慰安婦問題」に関する共同研究の立ち上げ、アジア太平洋地域ユネスコ記憶遺産10+ 件委員会(MOWCAP)をはじめ関連機関に、日本人の参画を強力に推進すべきである。以上、決議する。

国と国民が辱められているのだから、しっかりしてよ自民党さん。

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月も未練の十三夜。

2015-10-18 07:33:11 | 日記
十月十三日(火)晴れ。

朝は、昨夜におろしておいた秋刀魚を唐揚げにした。後は納豆と豆腐の味噌汁。十一月になったら大好きな「船納豆」を注文するつもり。何気なく「歳時記」を見たら今日は、「十三夜」とあった。十三夜の月見には,収穫期に入るくりや豆を供えるところから,くり名月,豆名月の名もある。 十三夜は十五夜に次いで美しい月だと言われているため、中秋の名月(十五夜)から約一ヶ月後に巡ってくる十三夜のお月見を昔から大切にしていて、十五夜または十三夜のどちらか一方しか観ないことを「片月見」と呼び、縁起が悪いこととしていたらしい。

「十三夜」と聞くと、私の世代は藤島桓夫の『月の法善寺横丁』を思い出すかもしれない。

包丁一本 さらしに巻いて旅へ出るのも 板場の修業 待ってて こいさん 哀しいだろが あゝ 若い二人の 想い出にじむ 法善寺 月も未練な 十三夜。(古くて済みません)そう言えば、北海道に留学していた時代に、同房の盗犯の人が、この歌をもじって「ドライバー一本、さらしに巻いて、旅に出るのも、ドロボーの修行」と歌っていて大笑いしたことがあった。

もっと古いのは、樋口一葉の小説『十三夜』。あらすじは、
「十三夜の晩、秦任官原田勇の妻お関は、突然実家の斎藤家を訪れる。喜んで迎えた両親も、いつまでも帰ろうとしないお関をいぶかしく思う。そんな両親に向かってお関は子供が生れてからの夫の精神的虐待ぶりを訴え、七年間我慢を重ねたあげくの離婚の決意を涙ながらに語る。しかし、父は静かにお関をさとし、同じ泣くのなら原田の妻、太郎の母として泣けと説得する。母性という弱点を指摘されたお関は父のことばに従い、死んだ気で生きようと決意する。帰り道、乗った車を引いていた男が幼馴染で初恋の人高坂録之助であることに気づいたお関は、彼からその転落の軌跡を聞き出す。録之助はお関の嫁入り後、放蕩にあけくれ、家財を失い、妻子とも別れ、虚無的な生活を送っているのである。お関は人間関係における存在を感じるとともに、原田の妻であり太郎の母である己の生の方向をしっかりと見定める。二人は淡々と別れるが、そうした憂き世を十三夜の月が静かに照らし出しているのであった」。泣けますねェー。

昭和十六年にヒットした作詞:石松秋二、作曲:長津義司、唄:小笠原美都子の『十三夜』がある。三木紘三と言う人の、「歌ものがたり」というブログにその歌の興味深い話が掲載されている。「 昭和十六年、太平洋戦争開戦の年にリリースされた下町情緒たっぷりの傑作です。作詞者の石松秋二は、『満州娘』『九段の母』など、戦前・戦中派には懐かしい歌をいくつも作詞しています。終戦時、侵攻してきたソ連軍により殺害された。作曲の長津義司は法政大学出身。企業に就職したあと、作曲家に転身。昭和十四年、田端義夫の『大利根月夜』で大ヒットを飛ばし、その後も、淡谷のり子『君忘れじのブルース』などのヒット曲を連発しました。昭和三十一年には、三波春夫のデビュー曲『『チャンチキおけさ』で大ヒットを飛ばしました。その後、三波春夫と組んで、歌謡曲のメロディに浪曲を乗せた新ジャンルも開拓しました。そのジャンルのヒット曲に、『元禄名槍譜 俵星玄蕃』があります」。

夜は、名前だけは真面目な「蜷川政経懇」を関内にて開催。最近は朝早く起きることもあって、大体「九ベロ」となってしまう。帰りは、友人の奥さんに迎えに来て頂き帰宅。

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