白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「大和」に「武蔵」・・・?

2015-10-21 11:44:28 | 日記
十月二十一日(水)曇り後晴れ。

昨日のことです。先生のご命日に、古くからの友人の古谷喜久男氏と先生を偲んで一献と、二日前に約束をしていた。待ち合わせの場所は、藤棚の「やまと」で五時半。我が家は交通の便が悪く一足早く保土ヶ谷行きのバスに乗って出かけた。そこから「やまと」まで歩いて二十分。先着して一人で飲み始めた。十五分が過ぎても古谷氏が来ないので、携帯に電話を入れると、「待ってるけどどこにいるの」と古谷氏。?が三つほど。私はもう着いているけど、何処にいるの。と聞けば、「むさし」だよ。れれれ。私は、「やまと」と言ったのに、古谷氏は、自分の定宿の「むさし」と勝手に勘違いしていたらしい。お互いに大笑い。

幾ら、先の大戦中の同型の姉妹艦と言っても、「やまと」と「むさし」では大違い。結局私が野毛の「むさし」に行き、無事に合流。またオヤジと三人で大笑い。「むさし」は夜中の三時まで営業しているお店で、常連さんには知り合いも多い。緑茶割を飲んでから、関内の「4・9(ヨンナイン)」へ転戦。ここのマスターのカズオ君を紹介してもらったのも古谷氏だ。もう二十五年も前のこと。昔話に花が咲き、好きな宇崎竜童の「夜霧のブルース」など聞いてから、再び野毛へ。「夜市」というバーに行けば、元サムエンタープライズの盛田社長が合流。最後は、サリーズバーに行き、野村先生を偲んで盛田社長が「群青」を歌った。涙腺が緩んだ。

十時過ぎに帰宅。久しぶりに大破・轟沈。

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