十月二十八日(水)晴れ。
群青忌で、地方から参加した社友は、この時期、ホテルの確保に苦労したらしい。修学旅行や、マスコミで話題となっている「爆買い」の人たちにホテルが占領され、特に金曜日、土曜日がどこも埋まっている。次回は、三ヶ月前からなるべく料金の安いホテルを押さえておくように段取りするつもり。
観光旅行に来るのではないので、社友の泊まるホテルは、ほとんどが、いわゆるビジネスホテルやカプセルホテルだ。値段も様々で、三千円から七千円程度か。私も用事で地方に行く場合は、なるべく安いホテルを選ぶようにしている。私は知らないが、戦前の本などを読むと、良く「木賃宿」というものが出てくる。おそらく今ではなくなってしまったのだろうが、先日、古書店で買った大山澄太氏の『山頭火の宿―そして酒と水と』という本の中に、その木賃宿について書いてあった。
木賃というのは、あの頃の安宿の不文律とでもいうか、米はお客が夕、朝、昼、三食分五合を出す。山頭火の場合は頭陀袋に貰いためた米を、五合、時には六合出す。おかず代と泊りは宿の負担、その米やおかずを炊く燃料としての薪代はお客が現金で先に払う、それを木賃というのである。山頭火は日記の中で、ある宿のおかみは米をうけとる時の桝の量りかたがずるかったとも書き、また朝めしに食べた残りを自分でべんとう行李につぎ、おかずは梅干、昆布の佃煮等を食べずに行李に入れるとも記している。またもし投宿する時に、米が不足したり無かったりすると、向うから米代を請求することは言うまでもない。こうした木賃宿の制度は、戦争で米が配給制となった頃から、いつのほどにか消えてしまった。
今日から下の子供が修学旅行に出かけた。私の時代から見たら豪勢な物で、飛行機で行く三泊四日の沖縄への旅だそうだ。その間、離島に二泊するらしい。飛行機はJALでホテルはANAとのこと。私が高校生の頃には、飛行機など乗ったこともなく、ホテルにも泊まったこともなかった。初めて飛行機に乗ったのは、昭和五十八年、三十二歳の時で、行き先は、やはり沖縄だった。
夜は、少々体調が悪く、酒を控えめにして早めに寝た。
群青忌で、地方から参加した社友は、この時期、ホテルの確保に苦労したらしい。修学旅行や、マスコミで話題となっている「爆買い」の人たちにホテルが占領され、特に金曜日、土曜日がどこも埋まっている。次回は、三ヶ月前からなるべく料金の安いホテルを押さえておくように段取りするつもり。
観光旅行に来るのではないので、社友の泊まるホテルは、ほとんどが、いわゆるビジネスホテルやカプセルホテルだ。値段も様々で、三千円から七千円程度か。私も用事で地方に行く場合は、なるべく安いホテルを選ぶようにしている。私は知らないが、戦前の本などを読むと、良く「木賃宿」というものが出てくる。おそらく今ではなくなってしまったのだろうが、先日、古書店で買った大山澄太氏の『山頭火の宿―そして酒と水と』という本の中に、その木賃宿について書いてあった。
木賃というのは、あの頃の安宿の不文律とでもいうか、米はお客が夕、朝、昼、三食分五合を出す。山頭火の場合は頭陀袋に貰いためた米を、五合、時には六合出す。おかず代と泊りは宿の負担、その米やおかずを炊く燃料としての薪代はお客が現金で先に払う、それを木賃というのである。山頭火は日記の中で、ある宿のおかみは米をうけとる時の桝の量りかたがずるかったとも書き、また朝めしに食べた残りを自分でべんとう行李につぎ、おかずは梅干、昆布の佃煮等を食べずに行李に入れるとも記している。またもし投宿する時に、米が不足したり無かったりすると、向うから米代を請求することは言うまでもない。こうした木賃宿の制度は、戦争で米が配給制となった頃から、いつのほどにか消えてしまった。
今日から下の子供が修学旅行に出かけた。私の時代から見たら豪勢な物で、飛行機で行く三泊四日の沖縄への旅だそうだ。その間、離島に二泊するらしい。飛行機はJALでホテルはANAとのこと。私が高校生の頃には、飛行機など乗ったこともなく、ホテルにも泊まったこともなかった。初めて飛行機に乗ったのは、昭和五十八年、三十二歳の時で、行き先は、やはり沖縄だった。
夜は、少々体調が悪く、酒を控えめにして早めに寝た。