白雲去来

蜷川正大の日々是口実

秋風禾黍(かしょ)を動かす

2015-10-13 10:39:50 | 日記
十月九日(金)晴れ。

芭蕉の句に、この道や 行く人なしに 秋の暮 というものがある。芭蕉が亡くなる一月前の句だそうだ。秋の夕暮れの中に、行く人もない道がはるか遠くまで続いている。俳諧の道も同じように、暮れやすく孤独なものであるか。と解説にあった。私の求める「道」にこんなに深い思いを持ったこともないが、好きな句である。

実は、その句は、中唐の詩人、耿 湋(こうい)の「秋日」という詩をふまえたものであるそうだ。

返照閭巷(りょこう)に入り
憂い来たりて誰と共にか語らん
古道人の行くこと少(まれ)に
秋風禾黍(かしょ)を動かす

秋の夕日が村里に差し込んでいます。
この風景を眺めているうちに、憂いがわきあがって来ましたが、それを誰と共に語ろうか。語る相手もいない。
古びた道を行き交う人もほとんどなく、
ただ秋風だけが稲や黍をそよがせている。(渡部英樹『漢詩歳時記』新潮選書。より)

ふと野村先生の、誰も見てゐないこれが獄の秋の落日 が浮かんだ。

昨日は、秋刀魚、今朝は、柳カレイの干物、納豆に「しじみの力」。柳カレイは好きなのだが、今日のは小さくて食べる所がほとんどなく、仕方がないので、赤ウインナーを少し炒めた。夜は、お世話になっている方から、どどっとジャガイモが届いたので、肉じゃがとジャガイモのガレットを作り、月下独酌。

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秋刀魚の歌

2015-10-13 10:08:07 | 日記
十月八日(木)晴れ。

朝食は秋刀魚の塩焼き、筋子、大根の味噌汁。正に季節を味わう。私が子供の頃は、住んでいた所が横浜の下町ということもあって、玄関先で七輪に秋刀魚をのせて焼いている人を見かけたものだ。さすがに今ではそんな風情はなくなった。

随分前のことだが、韓国は釜山の下町を歩いていたら、。路地に練炭の燃えカスが捨ててあるのを見かけて、子供の頃を思い出した。昭和三十年代の前半、横浜でもまだガスが普及していなくて、我が家でも母が練炭で煮炊きをしていた。今の我が家の食卓と比べたら、本当に質素な物がお膳に並んでいたが、決して「貧しい」とは思わなかった。日本人のほとんどが、そんな暮らしをしている時代だったからだ。

あはれ 秋風よ 情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて 今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとりさんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。
 
とは、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」である。

事務所から、機関誌『燃えよ祖国』を発送。ホッとする。夜は、久しぶりに「そごう」の鮮魚売り場で「カツオ」を買ったが、高くて驚いた。もうそろそろカツオも終わりか。酔狂亭で月下独酌。

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