十一月五日(月)晴れ。
仕事をしている訳でもないのに、なぜか月曜日が嫌いである。週の初めなのでビシッとしなければならないのだが、別段一週間にこれと言った目的もないので、週の始まりと言うのにどうも気合が入らない。真面目に働いている人たちに平身低頭である。
今読んでいるのが古書店で見つけた『山頭火の宿―そして酒と水』(大山澄太著・彌生書房)という本である。面白いのでチビリチビリと時間をかけて読んでいる。その中に山頭火が自ら書いた「酒の覚書」と言うものがあった。酒にだらしのなかった彼が、意を決して書いたものだが、その誓いを書いては破り、破ればまた書くと言うような「酒癖」であったようだ。その「覚書」とは、
酒に関する覚書
酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然発生的でなければならない。
酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことの原因であるが、酔ふことが飲むことの目的であってはならない。
何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。
求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。
悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。
うーん、めんどくせぇなぁー。酒を飲むのに理屈っぽいなぁー。T転社のF社長を見れば一目瞭然、理屈などいらない。酔って迷惑をかけようが、お店で何をしようが、とどのつまりは「でもいい奴だよ」で終わってしまう。これでいいのだ。そんな訳で、週の初めに、改まって酔狂亭で月下独酌。
仕事をしている訳でもないのに、なぜか月曜日が嫌いである。週の初めなのでビシッとしなければならないのだが、別段一週間にこれと言った目的もないので、週の始まりと言うのにどうも気合が入らない。真面目に働いている人たちに平身低頭である。
今読んでいるのが古書店で見つけた『山頭火の宿―そして酒と水』(大山澄太著・彌生書房)という本である。面白いのでチビリチビリと時間をかけて読んでいる。その中に山頭火が自ら書いた「酒の覚書」と言うものがあった。酒にだらしのなかった彼が、意を決して書いたものだが、その誓いを書いては破り、破ればまた書くと言うような「酒癖」であったようだ。その「覚書」とは、
酒に関する覚書
酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然発生的でなければならない。
酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことの原因であるが、酔ふことが飲むことの目的であってはならない。
何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。
求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。
悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。
うーん、めんどくせぇなぁー。酒を飲むのに理屈っぽいなぁー。T転社のF社長を見れば一目瞭然、理屈などいらない。酔って迷惑をかけようが、お店で何をしようが、とどのつまりは「でもいい奴だよ」で終わってしまう。これでいいのだ。そんな訳で、週の初めに、改まって酔狂亭で月下独酌。