白雲去来

蜷川正大の日々是口実

松竹戦争映画十巻セット。

2016-01-06 10:19:14 | 日記
十二月二十六日(土)晴れ。

良い天気である。朝食後は我が陋屋の大掃除。換気扇、風呂場、トイレ、網戸に廊下や居間。気が付けば三時過ぎ。せめて毎月このくらい一生懸命に掃除をしていたら、家の持ちも随分と違うのに違いあるまい。本当は、障子の張替えをやろうと思ったが、そこまで手が回らずに断念。春になったなら、気分転換で張り替えてみようと思っている。

事務所にも大量の本や資料があるが、自宅にもそれなりにある。駄文を書くために手の届く所に置いておくのだが、たまにドドッと崩れる時がある。読んだものはどんどん処分してしまえばよいのだが、単行本はどうしても捨てられない。それでも置き場所に困るので、読み終えてしまった週刊誌、月刊誌、情報誌など思い切って処分した。

分野別に、スクラップブックを作っている。ほとんど趣味の範囲を出ないが、切り抜いてそのままにしておいたものを、少し整理した。その中の「映画」のコーナーに「松竹戦争映画」のDVD十巻セットの広告があった。買おうかどうしようか迷っているものだが、十巻で一万六千八百円。一本千六百八十円だから高くはないのだが、なぜ買うのをためらっているかと言えば、十巻の中に持っている作品が四本もある。もちろん持っているものはVHSなのだから、新しく買え換えても良いのだが・・・。飲んだ時には一万や二万円ていどためらわずに払う癖に、こういった買い物をすると言うと、考えてしまう。貧乏な性なんでしょうねェ-。

因みにその作品とは、①間諜未だ死せず②開戦の前夜③敵機空襲④愛機南へ飛ぶ⑤海軍⑥不沈艦撃沈⑦水兵さん⑧君こそ次の荒鷲だ⑨野戦軍楽隊⑩乙女のいる基地。の十本である。もちろん全て戦前に製作されたものばかりである。「乙女のいる基地」は、その昔、亡くなられた大磯の小早川先生に誘われて八重洲のフィルムセンターで観たことがある。

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蕪村忌

2016-01-06 09:54:50 | 日記
十二月二十五日(金)晴れ。

ムーミン、ではなかったユーミンの歌に「恋人がサンタクロース」と言うものがあるそうだが、冗談じゃない。子供が大きくなるまでは、ずーっとお父さんがサンタクロースだったんだよ。お父さんが。まっどうでもいい話ですが。

今日は、「蕪村忌」である。手元にある楠木憲吉氏の『歳時記』によれば「子規は当時あまり名の出ていなかった蕪村を推奨して俳壇に紹介したのが縁となって、明治三十年から毎年、その命日に蕪村忌を営むようになった。
  風呂吹や蕪村百八十回忌 子規
この句は明治三十三年の作。また、
  蕪村忌や奥のはたはた摂の蕪(かぶ)
の句もあり、蕪村忌といえば摂津(大阪)のに水路露石が名産天王寺(注・大阪天王寺が原産の蕪(かぶ))を送って風呂吹き、注・大根やかぶを柔らかくゆで、その熱いうちに練り味噌を塗ってたべる)をごちそうとして出すのが例となっていた。「奥のはたはた」というのは秋田の島田五空から送られたハタハタのことである。子規庵蕪村に風呂吹きはつきものとなった」。

蕪村には、「秋風の呉人はしらじふくと汁」という句もあるが、今も中国の人はふぐを食べないのだろうか。今日は風呂吹きで一杯やるか。 

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クリスマスの賑わいは昔日のこと。

2016-01-06 00:22:51 | 日記
十二月二十四日(木)晴れ。

クリスマスイブかぁー。とか言ってもこの歳になればそんな行事にはとんと興味もない。負け惜しみなどではなく、本当に年齢と言うものが、浮ついた浮世の流れを拒否するのである。私が子供の頃、そう昭和の三十年代当時、街にはサンドイッチマンというキャバレーやバーの看板を持って繁華街に立っている人や、三角帽子におもちゃのロイドメガネをかけたおっさんで溢れていたが、今ではそんな姿に接することはない。

当然子供だったので飲み屋などに出入りしたことはなかったが、その頃に公開された日活の映画などを見ると、大体飲み屋のママさんのことを、「マダム」と呼んでいた。もうすっかり死語になってしまった。繁華街にあれだけあったキャバレーも、今では博物館のように感じてしまう。最後にキャバレーに行ったのはどのくらい前のことだったのか・・・・。昭和の時代だったことには間違いがない。

戦線復帰したのが平成二年の春。まだバブルの名残がいくらかあって、かつ独身ということもあり良く遊んだ。それでもクリスマスにロマンチックな夜を過ごしたなどと言う記憶が無い。ほんとはあったのかもしれないが、酒の記憶というものはアテにならない。たまに関内へ出るが、昔日の賑やかさなど、思い出せないほどお店が少なくなった。初代の『リー』、『クラブ・倫敦』『YUKI』『KEI』『オリーブ』『英国屋』『シーザー』『ラタン』などなど。どんどん関内が違う町になって行くようだ。まっ何の貢献もしていないので、愚痴を言っても仕方がないが。

夜の街は若い人に任せて、夜は家族ですき焼き。あと一週間で今年も終わりか。クリスマスなどよりも、そちらの方が感慨深い。

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