十二月三十日(水)晴れ。
何とか機関誌を年内に発送しようと思い朝食後から事務所に缶詰。何奈とか四時過ぎに完成。後は封筒に入れて発送するのみ。ホッとした。この十年ほど静かな年末と正月を過ごしている。平成二年の春に戦線復帰した頃は野村先生もまだ健在で、バブルの残り香で世の中はかなり景気よさそうに思えた。
その頃、野村先生の盟友の盛田正敏社長が横浜のヨットハーバーに係留していたのが「チャンポサ」という五十二フイートのクルーザー。管理責任者は私の友人の古谷喜久男氏。年末にはそのクルーザーで友人らと年越しをした。当時は独身ということもあって、かなり無茶もしたが、それも楽しい思い出である。大晦日の午前零時に港に停泊している船から一斉に汽笛が鳴る。ヨコハマの新年の恒例行事である。満たされている時は良いが、独り暮らしで金もなく、明日に希望もない時にこの汽笛は身に沁みる。若い頃にそんな大晦日を何度か過ごしたことがあった。
この歳になるまで、海外へはかなり行ったが、一度も海外で新年を迎えたことが無い。来年は、何とか無理をしてでも海外で新しい年を迎えてみたいと思っている。しかし暮と正月三ケ日はめちゃくちゃ料金が高い。正月の四日に出発すると三分の一ぐらいで行けるのだから、ついためらってしまう。同じ飛行機、同じホテル、同じ行程で暮や三ケ日の出発は高いのだから、ためらうのは当然か。
夜は、静かに酔狂亭で月下独酌。
何とか機関誌を年内に発送しようと思い朝食後から事務所に缶詰。何奈とか四時過ぎに完成。後は封筒に入れて発送するのみ。ホッとした。この十年ほど静かな年末と正月を過ごしている。平成二年の春に戦線復帰した頃は野村先生もまだ健在で、バブルの残り香で世の中はかなり景気よさそうに思えた。
その頃、野村先生の盟友の盛田正敏社長が横浜のヨットハーバーに係留していたのが「チャンポサ」という五十二フイートのクルーザー。管理責任者は私の友人の古谷喜久男氏。年末にはそのクルーザーで友人らと年越しをした。当時は独身ということもあって、かなり無茶もしたが、それも楽しい思い出である。大晦日の午前零時に港に停泊している船から一斉に汽笛が鳴る。ヨコハマの新年の恒例行事である。満たされている時は良いが、独り暮らしで金もなく、明日に希望もない時にこの汽笛は身に沁みる。若い頃にそんな大晦日を何度か過ごしたことがあった。
この歳になるまで、海外へはかなり行ったが、一度も海外で新年を迎えたことが無い。来年は、何とか無理をしてでも海外で新しい年を迎えてみたいと思っている。しかし暮と正月三ケ日はめちゃくちゃ料金が高い。正月の四日に出発すると三分の一ぐらいで行けるのだから、ついためらってしまう。同じ飛行機、同じホテル、同じ行程で暮や三ケ日の出発は高いのだから、ためらうのは当然か。
夜は、静かに酔狂亭で月下独酌。