白雲去来

蜷川正大の日々是口実

成人式かよ。

2016-01-12 17:20:41 | 日記
一月十一日(月)晴れ。成人の日らしい。

年が改まって新しいカレンダーを掛けたら、ん、十一日が休日となっている。家族に、十一日は何の日なの、と聞いた。「成人の日だよ」とのこと。へえー。十五日じゃなかったっけ。調べてみたら一月十五日が「成人の日」だったのは平成十一年までだそうだ。もう十七年も前のことだが、当時年頃の子供がいなかったこともあり、関心が無かった。

しかしニュースで見る成人式の会場の一部のサルではなかったアホは何とかならないものなのか。マスコミもいちいち写さないで無視すればいい。低能児がテレビに映ることを面白がって、騒ぐ。無視をすれば段々アホなことをやるサルは少なくなるのに違いあるまい。靖国神社や地域の護国神社にでも参拝させた方が、よっぽど成人の日にふさわしいと思うのだが。

風邪がまだ尾を引いている。と言っても熱があったり、横にならなければいられないようなことはないのだが、今は、多少の咳と痰が絡み声も少し風邪声となっている。調子の良い時を百とすると、まだ八十五%ぐらいの体調である。

久しぶりに事務所へ。しかし事務所は底冷えがするので早めに退散。『燃えよ祖国』の購読料を入金頂いた方にお礼の手紙と、平成二年にTBSの「報道特集」にて放映された『現代の右翼』の映像を資料としてお送りさせて頂いた。この不況の折に定期購読をして頂いている読者には感謝するのみである。夜は、我が酔狂亭で梅干入りのお湯割りを二杯飲んで早めに寝た。

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同志の訃報に接する。

2016-01-12 12:19:04 | 日記
一月十日(日)晴れ。

昨日、古いお付き合いであり県央地区で活発な民族派運動を展開をしている帝會の若い人たちから連絡があり、「報告があるのでお会いしたい」という連絡を頂いた。帝會の会長である山本眞一朗氏とは、彼がまだ伊藤満氏や故瀬野壽夫氏らと一緒に瑞穂塾という団体で運動をしている頃からのお付き合いなので、思えば長い付き合いとなる。暮の私の忘年会にも東海林、中村の両氏を参加させて頂き、山本会長からは丁寧な手紙を頂いたばかりである。(その手紙が何処を探しても見つからない)

長い付き合いと言っても、山本会長は下戸である。従ってほとんど酒席を共にすることはなかった。もう六七年も前だろうか、中華街の「安記」で郡山のS氏と共に親しく食事をしたのが最後ぐらいか。その間、皇居や靖国神社でお会いしたり、それなりの距離を保ってのお付き合いは続いていた。

十一時に、自宅近くのファミレスにて帝會の中村、東海林氏らと待ち合わせた。何の報告かと思ったら、彼らの口から出たのは山本氏の訃報だった。何でも、年末から体調を崩し、明けて正月の三日にどうしても具合が悪いと言うので、家族が救急車を呼んで病院に向かったが、その途中で意識が無くなった。病名はくも膜下とのこと。享年五十四歳。あまりにも突然のことと、早すぎる彼の死に、頭の整理がつかなかった。歳のせいか思わず落涙しそうになり、かろうじてこらえた。一人の同志の死と言うよりも、神奈川県の大切な活動家を失ってしまったと言う喪失感の方が大きい。頑固なほど、民族派運動には真面目な人だった。ご冥福を、などと言う言葉では彼の死を惜しむに余りある。残念でならない。

暮に頂き物をした方々に、お礼状が遅滞したことのお詫びとお礼の手紙を書いたり、午後からは机に向かっていたが、人生の無常観を考えたり、色々な意味で感慨深い一日だった。※写真は、在りし日の山本会長。写真提供・帝會。

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