白雲去来

蜷川正大の日々是口実

プチ新年会。

2016-01-25 15:36:44 | 日記
一月二十二日(金)晴れ。

天気予報では、明日の夜半から雪とか。寒いのは苦手だなぁー。しかし雪は好きだ。もちろん暖かい所で雪を酒の肴にして見る雪のことである。また雪の語彙も沢山あって様々な歌や小説の題名になっている。英語でも雪の語彙は沢山あるのだろうか。英語の堪能な方がいたら教えて貰いたいと思っている。

今日のような青天の時にちらつく雪のことを「風花」という。雪片が桜の花びらのように空に舞うところからこの言葉が出来たのだろうが、気象的には、遠方の山岳付近に風雪が起こっていて、それが上層の風に送られて、風下の山麓の地方に飛来するのだという。「歳時記」で知ったのだが、この「風花」の姉妹語に「雪花」と言うものがあるそうだ。花の無い季節に、花を恋う気持ちが、雨や霜までも花と見立てる日本人の感受性を示す言葉。とあった。日本語は美しいなぁー。

今日は、友人氏と東京でプチ新年会。ちょっと体調が良くなれば、家族の冷たい視線を無視して三日続いての飲み会に嬉々として出かける。分かっちゃいるけどやめられない。五時半に御徒町にて待ち合わせて箕輪と言う所にある寿司屋さんの「丸長」へ。このお店は群青の会の大熊雄次氏のホームグランドである。まずは、好物の「モエ」でアワアワの乾杯の後に、「ヒレ酒」から芋焼酎の「お湯割り」と脈絡もなくダラダラと飲んで気が付けば十時近い。お礼を言って慌てて帰宅。

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今年初の「やまと」へ。

2016-01-25 10:39:21 | 日記
一月二十一日(木)曇り。

少し体調が良くなると誘われると調子に乗ってノコノコと酒席に顔を出す。悪い癖だと思っても他に大した趣味も持ち合わせていないので仕方がない。私は二日酔いでも寝ぼけていても、しっかりと朝食を取る。元気の源である。今日の朝食のメニューは、マルシンのハンバーグに赤ウインナー、目玉焼きにキャベツの千切り添え。それに百均で買った、小チキンラーメン。そのまま昭和のメニューである。

夜は、今年初めての「やまと」へ友人と待ち合わせて行った。年末から年始にかけて私が体調を崩していたことを皆さん知っていて、心配してくれていたのには恐縮した。一緒に行った友人氏は「やまと」は今日で三回目なのだが、残念ながら下戸である。しかしながら食欲は旺盛で、一品ずつ頼むのは面倒なので、「団子揚げ」の後に「丸」(一羽丸ごと揚げるから「丸」)を頼んで食べて貰ったが、すぐに完食。むむむ恐るべし。久しぶりに自宅に帰ると言う友人氏と別れて、カメちゃんを呼び出して「一休」へ転戦。愚妻も合流して快気の祝い。一時間ほどで解散。カメチャンに感謝。

「やまと」のある藤棚商店街は、東京裁判において東條さんや日本の戦争指導者が刑死した際に荼毘に付した久保山火葬場の近くにある。火葬場があるくらいだからお寺も多い。そのお寺がスポンサーとなって?『久保山タウン新聞』という地元の様々なお店を紹介しているタウン誌を発行している。その新聞に「やまと」がどーんと紹介されているではないか。まあ常連さんは今更の感もあるが、これで少しでも新しいお客さんが増えて貰えばファンの一人として嬉しい限りである。

久保山と言うと、前述のように東京裁判で理不尽にも死刑となった東條さんや戦争指導者を荼毘に付した火葬場があることで知られているが、大正期日本のアナキストであり「大逆事件」にて逮捕され、後に獄死した金子文子が幼少期に暮らしていた場所でもある。彼女は、関東大震災の二日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、愛人である朴烈と共に検挙され、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪となった。その彼女の獄中手記『何が私をこうさせたか』という本は、私の中で「心に響く」一冊である。アナキズムや社会主義を否定する私だが、金子文子の生涯は尊く思う。『何が私をこうさせたか』の中に、彼女が幼少期に住んでいたと言う久保山の描写がある。「二度目に叔母がつれ戻されたとき、私たちはまた引越した。それは横浜の久保山で、五、六町奥に寺や火葬場を控えた坂の中程にあった」。
久保山を通るたびに、いつも文子が暮らした家はどの辺にあったのだろうかと、思いをめぐらす。

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