十二月二十三日(水)曇り後雨。天長節。
今日のよき日は大君の生まれたまひしよき日なり。天皇陛下八十二歳のお誕生日。起床後、顔を洗い口を漱ぎ、玄関に日の丸を掲げる。遥かに皇居を仰ぎ天皇陛下のご健康とご皇室の弥栄を祈念する。
長い間、野村先生の奥様が三十年にわたり経営していたスナック『恋さん』が野村先生の二十三回忌が済んだことを一区切りとして、今年いっぱいで閉店することとなった。そこで一門が忘年会を兼ねて「お別れの会」を催すことになった。
五時にお店着。年に一二度くらいしか顔を出すことはなかったが、閉店してしまうと思うと寂しいものだ。最初は「お好み焼き屋」としてスタートしてから早いものでもう三十年か・・・。一門の皆さんと一緒に思い出話に花が咲いて、「飲んだビールが五万本」。というクレージーキャッツの「五万節」という歌があったが、若い人は知らないだろうなぁー。八時過ぎに奥様にご挨拶して横浜に戻る。
終了後は、弘明寺商店街に後輩の尼野保君がこのほど開店した炉端焼き『花笠』の開店祝いに行った。『花笠』は、その昔、保君のご母堂が昭和五十年に横浜の伊勢佐木町の一本裏通りの若葉町に開店した。その頃も良く通ったものだ。その後、大通公園に移転。そして紆余曲折を経て今の場所に落ち着いた。お店は随分とこじんまりしてしまったが、その方が、彼の「人間味」が味わえて良いかと思う。お店で、偶然に関内で「4&9」(よんないん)のマスター夫妻とお会いする。しばらく飲んで帰宅。閉店と開店か。感慨深い酒席だった。
今日のよき日は大君の生まれたまひしよき日なり。天皇陛下八十二歳のお誕生日。起床後、顔を洗い口を漱ぎ、玄関に日の丸を掲げる。遥かに皇居を仰ぎ天皇陛下のご健康とご皇室の弥栄を祈念する。
長い間、野村先生の奥様が三十年にわたり経営していたスナック『恋さん』が野村先生の二十三回忌が済んだことを一区切りとして、今年いっぱいで閉店することとなった。そこで一門が忘年会を兼ねて「お別れの会」を催すことになった。
五時にお店着。年に一二度くらいしか顔を出すことはなかったが、閉店してしまうと思うと寂しいものだ。最初は「お好み焼き屋」としてスタートしてから早いものでもう三十年か・・・。一門の皆さんと一緒に思い出話に花が咲いて、「飲んだビールが五万本」。というクレージーキャッツの「五万節」という歌があったが、若い人は知らないだろうなぁー。八時過ぎに奥様にご挨拶して横浜に戻る。
終了後は、弘明寺商店街に後輩の尼野保君がこのほど開店した炉端焼き『花笠』の開店祝いに行った。『花笠』は、その昔、保君のご母堂が昭和五十年に横浜の伊勢佐木町の一本裏通りの若葉町に開店した。その頃も良く通ったものだ。その後、大通公園に移転。そして紆余曲折を経て今の場所に落ち着いた。お店は随分とこじんまりしてしまったが、その方が、彼の「人間味」が味わえて良いかと思う。お店で、偶然に関内で「4&9」(よんないん)のマスター夫妻とお会いする。しばらく飲んで帰宅。閉店と開店か。感慨深い酒席だった。