白雲去来

蜷川正大の日々是口実

トランプさんババを引かないで。

2016-05-07 13:52:12 | 日記
五月三日(火)晴れ。5(ご)3(み)の日。

どなたかが、今日の五月三日をもじって、その実、憲法記念日などではなく、アメリカ占領軍に押し付けられた占領基本法である「日本国憲法」は、ごみであるから、「5ご3みの日」であると。なるほど、座布団十枚。

戦後の日本の平和と繁栄が、「憲法九条のおかげ」というノー天気な人がいる。誰が考えたって、戦後の日本の平和と繁栄は、日米安保の下に構築された平和、イコール、アメリカの核の傘の中にいて、経済優先で来られた結果である。と言うことが、理解できないらしい。どんな頭の構造なのか一度、覘いてみたいものだ。日米関係や日米安保を好むと好まざるとにかかわらず、残念ながら、日本の平和と繁栄は、日米安保のおかげであるということは否定できない。違う、という人は余程のへそ曲がりであると言える。

もちろん、その日本の戦後の姿が正しいとは決して思わない。野村先生も、「日本の戦後の姿とは、日米安保の美名の下に築かれた、『奴隷の平和』と『魂無き繁栄』であり、林立する高層ビルも『砂上の楼閣』でしかない」と看破された。いつも思うのだが、「憲法九条があるから戦争に巻き込まれなかった」。と本気で思っているのならば、では憲法に「地震は来るな」な「台風が来るな」と明記したら、災害は来ないのかと聞いてみたいものだ。世界は、そんなに甘くはない。

東北沖の震災の時も、ロシアは、戦闘機を飛ばし、この大災害の最中に、自衛隊がスクランブルをかけてどのくらいで飛んでくるかを試したし、中国の船舶は尖閣の周辺から消えることはなかった。世界とは、そんなものだ。米大統領候補のトランプが、日本に対して厳しいことを言っているが、これはとりもなおさず、戦後の日本の防衛政策を根本から見直す良い機会を彼が与えてくれたと、前向きに考えた方が良い。トランプが、在日米軍の経費をすべて負担しなければ、日本から撤退する、と言った。おお上等じゃないの、今だって我が国は駐在日軍の経費を五十%から、多い時では七十%も負担しているのだ。ただで米軍が日本にいる訳ではない。応分の負担をしている。

もし在日米軍が撤退したら、その時こそ、日本は核武装化に突き進むしかない。そんな日のくることを内心楽しみにしている自分がいる
大きな声で言えませんまが。ふふふ。

strong>昼に、友人夫妻が来訪して、ご恵送頂いたジンギスカンで、酔狂亭が賑わった。font>strong>

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天草の勤皇の人、逝く。

2016-05-07 05:37:58 | 日記
五月二日(月)晴れ。

正午に、國の子評論の横山孝平氏から電話が入る。三日に横山氏が大悲会の志村馨君らと行う憲法改正の集会に関することかと思ったら、何と、若い頃から親しくさせて頂いている、熊本は本渡諏訪神社の大野康孝宮司逝去の知らせだった。一瞬耳を疑った。しかしながら、大野宮司は癌を克服するために過去に何度も手術をしている。ある時は、手術のすぐ後に、電話があって、「いゃー今日退院しましたよ」など豪気に笑っていたものだ。

携帯に、大野氏から電話が入ると、私の名前が正大(まさひろ)であることから、必ず「正しく大きな人ですか。ははは」これが常套句だった。電話が長いので、元気な時は、辟易することもあったが、今ではそれも懐かしい。大野氏が、郷里である本渡に戻った頃、もう二十年以上も前だろうか、「今日の夜に若い人たちが集まって一杯やるのだが、来ない」。てっきり上京しているのかと思って、「いいよ。どこで?」。大野氏いわく「天草だよ」。電話を貰ったのは午後、どう考えたって行ける訳がない。

子豚の丸焼き、自分で釣った鯛など、頂くものにはいつも驚かされたが、正月には、本渡諏訪神社のお札や家族全員のお守りをもう十年以上も送って頂いていた。考えてみれば、こちらからは、ほとんど何もすることもないのに、いつも良くして頂いた。

大野氏と初めてお会いしたのは、何時だったのだろうか。昭和四十年の後半ぐらいだったと記憶している。距離が近くなったのは、昭和五十七年に、犬塚博英先輩らが中心となって行った「沖縄祖国復帰十周年記念・民族派学生青年有志・沖縄戦跡慰霊巡拝団」に参加した以来だと思う。思い出は尽きない・・・。ご厚誼に感謝し、合掌。

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