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白雲去来

蜷川正大の日々是口実

口笛の 悪漢悔ひなし 雲の峰

2016-05-06 18:15:33 | 日記
五月一日(日)晴れ。

めったにないことだが、下の子供を連れてランチを食べに出た。家を出た所で、待てよ・・・。飲み屋は数知れず知っているが、家族でランチなどを食べる気の利いた店など知らないことに気が付いた。大体、ランチなどと言う言葉が気に食わん。昼飯(ひるめし)で良いじゃあないか。あの店、この店、いろいろ検討したが決まらない。とりあえずは野毛を目指した。

こざかいしいイタメシ屋やビストロなんて、こっぱ恥ずかしくて暖簾をくぐれない。いやそんな毛唐のメシ屋に暖簾はないか。強権を発動して、「五色のタンタン麺」で有名な「天府」という店に入った。愚妻は「赤のタンタン麺」子供は「焼売」「小籠包」。私は「鳥ソバ」に「餃子」。何かセンスネェーなぁー。でもジジイの昼飯何てこの程度で上等である。

過日読了した、『満州国と岸信介』(大田尚樹・KADOKAWA)の中に、かつての日本の軍隊について興味深いことが書いてあった。「岸がよく知る満州国国務総理を務めた張景恵の、『日本の軍隊は世界一強いが、軍人が戦争の意義を知らなかった。戦争は国と国との取引きの一つに過ぎない。だから負け戦を五分か七分で喰い止めるのも戦争上手なわけだが、彼らは戦争と個人同士の果たし合いを混同して、どちらかが息の根を止めるまで戦おうとする。惜しい軍隊を失ったものだ』という中華思想に裏付けされた指摘には説得力がある」というものだ。まあ一理ある。

今日から五月。良い天気だった。野村先生の、 口笛の 悪漢悔ひなし 雲の峰 がふと浮かんだ。カツオの不調が続いている。買っても、買ってもはずればかり。目には青葉、山ほととぎす、俺のカツオはどこへ行った。
          

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数知れぬ過ちは酒とともにあり 。

2016-05-06 12:46:55 | 日記
四月三十日(土)晴れ。

若い頃は、漢詩や漢文などには全く興味がなかったが、四十近くになって、俄然と興味が湧き、とりあえず日本人が昔から好んだ、『唐詩選』や李白、杜甫、白楽天、王維などの「詩選」を読むようになった。といっても詩作などが出来る能力はないが、漢詩を好むようになってからは、当然中国の古典にも手を伸ばし、平凡社から出ている『中国古典集』を揃えたりした。

吉川英治などの『三国志』も楽しいが、なるべく原文、解説付きのものを読むように心がけた。思えば、北の大学にいた四年弱は、もっぱら中国史関係の物ばかり読んでいたような気がする。車の常備本が『李白詩選』(松浦友久編訳・岩波文庫)。人との待ち合わせや時間があって車にいなければならない時のための常備本である。最初の本がボロボロになってしまったために、今のものは二冊目である。暗記しては忘れ、の繰り返しで、その原因は酒にあることは瞭然なのだが、忘れるのではなく、上書き消去、と都合の良いように考えている。

まあ漢詩や古典を学んでも、その精神が余り身に付いてはいない。例えば、「君子は必ずその独りを謹む」(君子必謹其独也)という言葉がある。出典は『大学』。「独りを慎む」略して「慎独(しんどく)」。意味は、他人の見ていない所でも、間違ったことをしないように、絶えず自分の言動をチェックすること。他人の眼があれば、誰でも慎重に振舞う。だが、他人の眼があろうが、なかろうが、常に慎重に振舞うのが君子である。独りだからと言って間違ったことをすれば、他人には知られなくとも、自分は知っている。他人は騙せても、自分は騙せない。それがいつまでも自分の気持ちに引っ掛かり、知らぬ間に容貌や、態度に現れてくる。

いつも一人の時は、だらしない格好で、ダラダラしているし、他人の眼があろうが、無かろうが、常に酔っぱらっていい加減だ。情けない。よーし反省会だ。友人ご夫妻を誘って藤棚の「食道苑」へ突撃。反省の言葉と態度を山ほど築いてから「一休」に転戦。まだ反省が足らずに「やまと」へ。帰宅後は、もちろん「猛省」。ああ俺は駄目な人間だ。

数知れぬ過ちは酒とともにあり その酒抱きてけふも堕ちなん。とは、道の兄と慕った、故阿部勉さんの歌である。

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祝・昭和節。

2016-05-06 12:12:30 | 日記
四月二十九日(金)晴れ。昭和節。

起床後に、顔を洗い、口をすすぎ、玄関に日の丸を掲げ、先帝のご遺徳を偲ぶ。昭和生まれの私としては、先帝陛下に対して特別の愛着と思いがある。ご皇室の弥栄と今上両陛下のご健康を祈念する。

天長節の由来は『老子』の「天は長く地は久し」から来ており、中国は、唐の開元十七年八月五日に時の玄宗皇帝が自分の生日を節名としたことにはじまる。わが国では、第四十九代光仁天皇の宝亀六年十月十三日に、内外百官に酺宴(ほえん=天子が詔(みことのり)して臣下に宴会を賜ること)を賜り、を断つ、仍(よ)ってこの日を名づけて天長節と為すと、『続日本紀』にある。

朝から、奮発して「うな丼」。といっても、先日の頂き物を冷凍にしていた物だ。フライパンに割り箸を置いて、その上にウナギを乗せる。お酒を入れて二分ほど蒸すと、ふんわりと出来上がる。贅沢なものよ。

午後から事務所にて仕事。六時前に帰宅し、酔狂亭で月下独酌。

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