白雲去来

蜷川正大の日々是口実

大夢祭。

2016-05-23 13:53:21 | 日記
五月十五日(日)晴れ。

名古屋から岐阜までは、急行で二十分ぐらいで着いてしまう。細川先生からメールが入って、岐阜の蕎麦屋の名店の「吉照庵」で「朝蕎麦と朝酒」しましょう。ゲゲゲのゲ。「吉照庵」のある付近は料亭や古い建物があって、とても雰囲気が良い。十一時に細川先生と合流したが、さすがに二日酔い気味だったので、蕎麦だけにした。

正午に護国神社へ。花房東洋先輩やご子息の仁さんらにご挨拶。大行社からは岡山の早瀬幹事長や泉岐阜支局長など参加している。その後神事(この模様は『燃えよ祖国』の222号に掲載させて頂きます)。坪内隆彦さんの「祭文」が胸を打つ。そして、筑前琵琶の宮下旭菖さんが演じた「西郷隆盛」には感激した。機会があれば、岐阜は長良川のほとりの料亭で、一献酌み交わしながらしみじみ聞いてみたいと思った。

終了後は、場所を移して直会。ご挨拶をさせて頂いた。そして細川先生に誘われて、昼間からやっている居酒屋に転戦。ヘロヘロになって新幹線に乗った。やっと帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名古屋へ。

2016-05-23 13:38:23 | 日記
五月十四日(土)晴れ。

明日の大夢館の五十周年と五・一五事件の追悼祭に出席するために名古屋へ。なぜ名古屋かと言えば、十五日に岐阜で高橋尚子の名前を冠にしたマラソンがあるために、ホテルは全て満杯。仕方がないので名古屋に泊まって、翌朝に岐阜に行くことにした。

新幹線で群青の会の大熊雄次氏と合流。何と、着席するなり酒盛りが始まった。ご丁寧に、氷と水に焼酎。つまみもある。旅はいいねぇー。酔っぱらう暇もなく名古屋に着いた。駅前のホテルにチェックインしてから、細川先生推薦の「千亀」という焼き鳥屋へ。ここで豊橋の社友、竹田忠正氏と合流。さすがの名古屋の焼き鳥の名店。がぁーっと飲み喰いしてから紅灯の巷に転戦。

仕上げは、何とかと言うカレーうどんやへ。久しぶりに名古屋で大破轟沈の夜でした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界のニナガワさんと苗字が一緒で・・・・。

2016-05-23 13:01:20 | 日記
五月十三日(金)晴れ。

世界のニナガワさんが亡くなった。それはそれで仕方がないのだが、Pcの前にいても、新聞をむ読んでいても、テレビからは「ニナガワ」さんのオンパレード。申しわけないが、その度に自分が呼ばれているようでドキッとしてしまう。別に苗字が同じと言うことだけで縁もゆかりもありません。私のご先祖は富山県の滑川と言うところの出身である。蜷川村もあれば、蜷川小学校と言うのもある。世界のそれも文化勲章のニナガワさんと苗字が同じで申し訳ありませんが、とりあえず合掌。

我が家のご先祖のお墓のある滑川の「浜の御坊」で有名な稱永寺には、下記のような「由来」が書かれた石碑が建っている。まあ、余計なことかもしれませんがお付き合いください。

 由来
当寺開基 蜷川新左衛門尉政成は 宮道蜷川氏の流れであって 足利将軍義植が越中に逃げて蜷川氏に身を寄せた時 弟新右衛門と意見が合わず ひとり義植を奉じ一門の郎党を率いて滑川町大町に移り 小城を築いて住した 時に明応二年(西暦一四九三年)のことであった 政成は仏門に帰して浄念と号し 本願寺実如上人に帰依し 永正十年(一五二二年上人より画像本尊を賜った 二代新左衛門尉政以(浄蓮) 天正五年月岡野において盟友椎名小四郎とともに 織田信長の武将梶田新吾の軍と戦い討ち死にした 三代新左衛門尉政基(浄尊)父の戦死以来悟るところあり 邸宅を小庵となし一門の冥福を折ることを楽しみとした 当寺が「浜の御坊」と称されるのに至った由来は 上新川郡蜷川村より移住の当初 滑川町大町海浜に在り また本願寺の東西分派の折教如派として活躍したので 中新川郡宗徒の尊ぶところとなり それ以来「濱の御坊」の称号が町民に親しまれるようになった 寺地の変遷を記せば慶安年間最初の寺地に本陣が造営されることとなり 加賀藩の要請により当寺は第二の寺地武平大町移ることとなった しかるに同地が天保五年 同十五年 安政六年の三度の類焼に遭い万延元年(一八六〇年)二五〇年の間住みなれた旧地より現在地に移る
 昭和五十四年二月 北海山稱永寺 第十七代住職 蜷川彰夫識
 
蜷川氏の先祖
「蜷川氏の先祖は、山城国宇治郡の豪族宮道朝臣弥益(平安時代九世紀頃の人)である。宮道氏はやがて越中に領地をもって、ここに本拠を映すに至った。弥益子孫の親直(源頼朝時代十二世紀の人)が越中国新川郡蜷川荘に住して、その地名を以て姓としたとある。
稱永寺の祖先は、この蜷川氏の系統である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする