白雲去来

蜷川正大の日々是口実

盟友の見舞い。

2016-05-12 13:05:40 | 日記
五月五日(木)晴れ。

屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して汨羅の川に入水自殺した、屈原の命日。衆人皆酔、我独醒(衆人皆酔いて、我れ独り醒める)とは、屈原の「魚父辞」という詩。今日の端午の節句は、その屈原に由来する。

「やねよりたかい こいのぼり おおきいまごいは おとおさん ちいさいひごいは こどもたち おもしろそうに およいでる」。童謡の「こいのぼり」だが、もう一つ「鯉のぼり」の歌がある。「甍(いらか)の波と雲の波、重なる波の中空を、橘かおる朝風に、高く泳ぐや、鯉のぼり」。最近は、「こいのぼり」を揚げる家をほとんど見かけなくなった。

午後から、四十年来の同志であり、盟友の折本満氏が、体調を崩して入院していると言うことで、愚妻を伴って新宿の東京医大へお見舞いに行く。腸閉塞と言うことで、随分痩せてしまった折本氏だが、病気にめげずに意気軒昂の様子。しばらく語らってから、再訪を約して病院を後にした。

御徒町に出て、大熊雄次氏を誘って「新東洋」にて遅い昼食。五時過ぎに帰宅。

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文化的と酔っぱらいと。

2016-05-12 12:47:52 | 日記
五月四日(水)晴れ。

ゴールデンウイークを漢字で書くと「黄金週間」。何が、「黄金」なのか理解に苦しむが、「黄金」と聞くと、横浜橋商店街の大通公園側の入口脇にある、天丼屋さん豊野の「黄金丼」が頭に浮かぶ。

何処へ行っても人ばかりなので、今日は、ちょっと文化的にヨコハマで開催されている催しを見に、ギャラリーを二軒ハシゴした。まずは、以前、通っている歯医者の先生から薦められて読んだのが『我が志、アフリカにあり』(島岡由美子著・朝日新聞社)。破天荒と言っては失礼かもしれないが、タンザニアのザンジバルという町でにて漁業、運送業などの複数の事業を行ない、現地の人の雇用を創出しながら柔道を教え、今では、弟子がなんと2000人を超えるという人がいる。島岡強氏である。横浜生まれで、私と同じ南区で育ったが、残念ながら縁がなかった。ご夫人が書いたその本を読んで非常に感動し、帰国の折には、いつかご挨拶をさせて頂きたいと思っていた。その島岡ご夫妻の主催する絵画展「アフリカン現代アート・タィンガティンガ原画展」が横浜で開催されているというので行ってみた。ほしい絵が何点かあったが、ここの所、不如意が続いている。島岡氏の姿も会場にあったが、絵も購入せずに、挨拶をするのも、何か申し訳なく、何の力にもなれぬことを心でお詫びして、会場を後にした。せめて島岡ご夫妻の行いを広めることで連帯させて頂きたいと思っています。

二軒目は、「アフリカンアート展」からすぐ近くの、やはり日本大通りにある、横浜都市発展記念館(こんなものがあることを今まで知らなかった)で開催されている「横浜山下公園・海辺に刻まれた街の記憶」という写真展に行った。山下公園は、昭和二十年の九月から昭和三十四年の六月まで、進駐軍の高級将校専門の住宅が建っていて日本人の立ち入りが禁止されていた。接収解除となった翌年に、学校で写生に行ったことがある。私は、小学校の三年生だった。関東大震災の瓦礫を利用して復興公園として、昭和五年に山下公園は開園した。写真展では、明治、大正、昭和の海岸通や山下公園の写真が展示されていて、とても楽しかった。写真集も購入した。

その後は、中華街の市場通りに引っ越した「中華飯店」で昼食。定番の「モツ炒め」と「モツの冷菜」と「餃子」でビールを二本。次は、「安記」へ。混んでいたが、何とか入れて貰って「モツ皿」と「イカといんげん炒め」を「紹興酒」で。みなとみらいで、ドイツフェアをやっているとかで、散歩がてらで歩いて行ったが、人が多くてパス。そこから野毛に出て、安いお店と、中くらいのお店を回って、かなりヘロヘロになって帰宅。

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