十二月二日(金)晴れ。
暖かい一日だった。朝十時に、志村馨、松本佳展君に迎えに来てもらい、恒例の暮のあいさつ回り。横浜、東京、川崎と回って、帰宅したのは三時過ぎ。それから子供を歯医者に送ってから、友人との飲み会の場所へ急ぐ。
場所は、私の家から比較的近い「浜一」。ここのオヤジは、私の中学の三級先輩である。妹さんは、中学の三年間ずーっと同じクラスだった。と言っても中学を卒業してから半世紀も経つ。卒業以来一度も会ったことがないので、恐らく知らないお店で、偶然に隣同士になっても、お互い気が付かないに違いあるまい。その昔、睾丸ではなかった、紅顔の美少年(大げさですが)であった私も、髪は抜け落ち、腹は出て、目が霞む正しい爺となった。陸上の選手だった面影など、微塵も感じられない、厚顔の爺さんになりました。
定年をまじかにひかえた友と、何と「黒霧島」の四合瓶を二本も空けてしまった。途中から愚妻も参戦。久しぶりの大破轟沈の夜でした。※写真は、昭和四十年。中学三年生の時の修学旅行。清水寺。最上段、一番左のアホ顔が私です。
暖かい一日だった。朝十時に、志村馨、松本佳展君に迎えに来てもらい、恒例の暮のあいさつ回り。横浜、東京、川崎と回って、帰宅したのは三時過ぎ。それから子供を歯医者に送ってから、友人との飲み会の場所へ急ぐ。
場所は、私の家から比較的近い「浜一」。ここのオヤジは、私の中学の三級先輩である。妹さんは、中学の三年間ずーっと同じクラスだった。と言っても中学を卒業してから半世紀も経つ。卒業以来一度も会ったことがないので、恐らく知らないお店で、偶然に隣同士になっても、お互い気が付かないに違いあるまい。その昔、睾丸ではなかった、紅顔の美少年(大げさですが)であった私も、髪は抜け落ち、腹は出て、目が霞む正しい爺となった。陸上の選手だった面影など、微塵も感じられない、厚顔の爺さんになりました。
定年をまじかにひかえた友と、何と「黒霧島」の四合瓶を二本も空けてしまった。途中から愚妻も参戦。久しぶりの大破轟沈の夜でした。※写真は、昭和四十年。中学三年生の時の修学旅行。清水寺。最上段、一番左のアホ顔が私です。