白雲去来

蜷川正大の日々是口実

さようならは、「五つのひらがな」ではなかった。

2016-12-14 09:08:24 | 日記
十二月九日(金)晴れ。

申し訳ないけれど、お隣の国は、退屈しないなぁー。大統領の弾劾が決定し、身内である与党の中からも大量の弾劾賛成者が出るなど、朴大統領は、相撲で言えば、死に体。大統領府の前で騒いでる人たちもエキセントリックで、人のケンカと何とかは、大きいほど面白いを実感させられる。これで次は左翼政権の誕生が色濃くなった。そうすると国民の人気取りのために、「反日」に転じてくるのは、火を見るよりも明らか。そして人気取りのために、十億円もの慰安婦への基金も、反故にされるかもしれない。ポピリズム政党の台頭が世界で話題になっているが、そう言った意味では、韓国も同じだ。

話は全く関係ないが、浅田次郎の本を読んでいたら、「さようなら」と言う言葉は、本来は、接続詞で、いわゆる「バイバイ」という意味では使われていなかったと知って、目からころも、ではなかったウロコだ。「さようなら」と書くと、ピンと来ないが、「左様なら」と書くと、何となく分かってくる。こういう具合に使っていたそうだ。「忙しい一日だったが、左様なら家に帰ってゆっくり休みましょう」とか、「ずいぶんすったもんだしたけれども、左様ならここいらで別れよう」と使っていた。日常生活が忙しくなったり、せちがらくなって、「左様なら」だけが、独り歩きし、「さようなら」となった。歌の文句ではないが、さようならは「五つのひらがな」ではなかったのだ。

鳥肌が立つ。もそうだ。本来は、「寒さや恐怖などによって、皮膚に鳥肌があらわれる。鳥肌立 (だ) つ。怪談に鳥肌が立つ」と使われたのが、最近では、感動を表現するときにも使用されるようになった。つくづく言葉が生き物であることを実感させられる。

夜は、酔狂亭で、月下独酌。

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昨日の敵は、今日の友。

2016-12-14 08:34:30 | 日記
十二月八日(木)晴れ。開戦記念日。

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(フ)メル大日本帝國天皇ハ昭(アキラカ)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ユウシュウ)ニ示ス 朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス。

安部総理の真珠湾訪問が決まったそうだ。オバマ大統領の広島訪問と同一視する向きもあるが、私は違うと思う。確かに、広島、長崎の原爆投下や真珠湾への攻撃は、先の大戦の「象徴的」な出来事かもしれないが、広島・長崎への原爆投下は、ハーグ条約で禁止されている非戦闘員への殺りく行為であり、無辜の民の虐殺でしかない。真珠湾攻撃は、戦艦や飛行機など軍事施設への限定的な攻撃である。何の本かは、忘れたが、以前読んだ本の中に、真珠湾攻撃の際の航空参謀であった源田実氏に、「なぜ石油の貯蔵タンクや公安施設を攻撃しなかったのか」と聞いた所、源田氏は「ゲスの戦法である」と一蹴した、とあった。日本の軍人が、いかに武士道にのっとった戦いをしたのかが分かる。

しかしながら、大東亜戦争から七十五年が過ぎて、安部総理の訪問によって、お互いの国の国民が癒されるのならば、それでいいのではないかと思う。そして、いずれ、日本軍の真珠湾攻撃が「だまし討ち」などではなかったことが証明されるのに違いあるまい。「昨日の敵は、今日の友」か。

夜は、冷蔵庫の一掃セールで、鍋を囲んだ。酒だけは避けられない。

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