一月十六日(火)晴れ。
民俗学者の柳田国男は明治三十年、大学二年の夏休みを愛知県の渥美半島で過ごした。伊良湖岬の浜を歩いていると、流れ着いたヤシの実を見つけた。柳田は晩年、ヤシの実を黒潮に乗って南方から渡来した日本人に重ね合わせて、名著『海上の海』を書いた。その中で、友人の島崎藤村が柳田から話を聞いて、「椰子の実」の歌を作ったとのエピソードを明かしている。(「産経抄」二〇一七年八月八日)
名も知らぬ遠き島より、流れ着いたヤシの実一つ。ならまだロマンチックだが、名前は知っているが、不気味な国からの漁船の漂着が連日のように報道されている。工作員なのか、それとも零細の漁民なのか分からないが、この時期の冬の荒波に耐えきれずに難破し、日本の海岸に打ち上げられた木造船の中や側に、北朝鮮の漁民と思われる人たちの遺体がある。日本のイカ釣りの漁民が、テレビのインタビューに答えて「良くあんな粗末な小舟で、漁に出るなぁー」と、語っていたのが印象的だった。
新聞では、「経済制裁の結果、食料が不足しているから、冒険的な漁にでている」と書いてあったが、苦労するのは、そう言った一般庶民ばかりで、平昌オリンピックに参加するという、応援団のオネェサンは高級ブランド品のバックを持ち、皆さん色つやが良い。どうなってるのやら。
首領様の国民でない私は、昨日に続き、「ほっもっと」の「のり弁」に「唐揚げ」、とろろこぶのスープ。昼は抜いた。夜は、ナスを素揚げし、豚肉のオイスターソースでの炒め物。山芋と紅生姜のお好み焼き、厚揚げ焼き。お供は「黒霧島」。不如意が続いていても、酒と肴だけは欠かさない。
民俗学者の柳田国男は明治三十年、大学二年の夏休みを愛知県の渥美半島で過ごした。伊良湖岬の浜を歩いていると、流れ着いたヤシの実を見つけた。柳田は晩年、ヤシの実を黒潮に乗って南方から渡来した日本人に重ね合わせて、名著『海上の海』を書いた。その中で、友人の島崎藤村が柳田から話を聞いて、「椰子の実」の歌を作ったとのエピソードを明かしている。(「産経抄」二〇一七年八月八日)
名も知らぬ遠き島より、流れ着いたヤシの実一つ。ならまだロマンチックだが、名前は知っているが、不気味な国からの漁船の漂着が連日のように報道されている。工作員なのか、それとも零細の漁民なのか分からないが、この時期の冬の荒波に耐えきれずに難破し、日本の海岸に打ち上げられた木造船の中や側に、北朝鮮の漁民と思われる人たちの遺体がある。日本のイカ釣りの漁民が、テレビのインタビューに答えて「良くあんな粗末な小舟で、漁に出るなぁー」と、語っていたのが印象的だった。
新聞では、「経済制裁の結果、食料が不足しているから、冒険的な漁にでている」と書いてあったが、苦労するのは、そう言った一般庶民ばかりで、平昌オリンピックに参加するという、応援団のオネェサンは高級ブランド品のバックを持ち、皆さん色つやが良い。どうなってるのやら。
首領様の国民でない私は、昨日に続き、「ほっもっと」の「のり弁」に「唐揚げ」、とろろこぶのスープ。昼は抜いた。夜は、ナスを素揚げし、豚肉のオイスターソースでの炒め物。山芋と紅生姜のお好み焼き、厚揚げ焼き。お供は「黒霧島」。不如意が続いていても、酒と肴だけは欠かさない。