白雲去来

蜷川正大の日々是口実

流れ着いたのはヤシの実ではなく、漁船だった。

2018-01-19 11:51:22 | 日記
一月十六日(火)晴れ。

民俗学者の柳田国男は明治三十年、大学二年の夏休みを愛知県の渥美半島で過ごした。伊良湖岬の浜を歩いていると、流れ着いたヤシの実を見つけた。柳田は晩年、ヤシの実を黒潮に乗って南方から渡来した日本人に重ね合わせて、名著『海上の海』を書いた。その中で、友人の島崎藤村が柳田から話を聞いて、「椰子の実」の歌を作ったとのエピソードを明かしている。(「産経抄」二〇一七年八月八日)

名も知らぬ遠き島より、流れ着いたヤシの実一つ。ならまだロマンチックだが、名前は知っているが、不気味な国からの漁船の漂着が連日のように報道されている。工作員なのか、それとも零細の漁民なのか分からないが、この時期の冬の荒波に耐えきれずに難破し、日本の海岸に打ち上げられた木造船の中や側に、北朝鮮の漁民と思われる人たちの遺体がある。日本のイカ釣りの漁民が、テレビのインタビューに答えて「良くあんな粗末な小舟で、漁に出るなぁー」と、語っていたのが印象的だった。

新聞では、「経済制裁の結果、食料が不足しているから、冒険的な漁にでている」と書いてあったが、苦労するのは、そう言った一般庶民ばかりで、平昌オリンピックに参加するという、応援団のオネェサンは高級ブランド品のバックを持ち、皆さん色つやが良い。どうなってるのやら。

首領様の国民でない私は、昨日に続き、「ほっもっと」の「のり弁」に「唐揚げ」、とろろこぶのスープ。昼は抜いた。夜は、ナスを素揚げし、豚肉のオイスターソースでの炒め物。山芋と紅生姜のお好み焼き、厚揚げ焼き。お供は「黒霧島」。不如意が続いていても、酒と肴だけは欠かさない。

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ブランド品のバックを持っていてレタスが高いってか。

2018-01-19 10:53:06 | 日記
一月十五日(月)晴れ。

昨日、サリーが主催の新春屋形船の会があって愚妻と出席。昨年の「群青忌」の前夜祭でお世話になった共通の友人が経営している「みなとみらい」周遊の舟である。仲良しさんばかりなので、楽しめた。二次会は、少人数で、私の地元の居酒屋の「浜一」へ。十時過ぎに解散。

といった、さほどでもない酒量だったのに何時もの時間に起きられず、九時まで寝てしまった。朝食を作る気がせず、近くの「ホツトモツト」にて「特のりタル弁当」の朝食。昼は、「業務スーパー」にて「赤ウインナー」の特用袋を買ったので、玉ねぎと一緒に炒めてソースチャーハンに目玉焼きのせ。新玉ねぎの味噌汁。ようやく酒が抜けて体調が戻った。午後から事務所行き。新聞を見たら年賀状の懸賞で「年賀切手」が六枚当たっていた。ラッキーである。

夜は、恒例の「蜷川政経懇」を関内のHIROにて開催。盟友の体調が戻らず、欠席したのが寂しかったが、ささやかに新年会。その後、後輩のお世話にて、一軒転戦してから帰宅。どうも酒とのズブズブの関係から抜け出せない。

青物野菜が高い。お好み焼屋さんや豚カツ屋さんなどは、さぞかし大変な思いをしているのだろう。テレビで、女子アナや売れっ子の若手女優が「レタスが高くて、買うのをやめた」というのを聞いて、ホンマカイナ。どのくらいの収入があるのかは知らないが、高いと言っても一玉、五百円程度だ。シャネルやヴィトンなどのブランド品を買うお金があっても、五百円のレタスにバックを踏む。しっかりしているのか吝嗇(ケチ)なのか良く分からん。こんな時こそ、レタスや白菜、キャベツに「様」をつけて呼び、家族で有難く、芯や葉っぱまで食べたらよい。有難さが分かると言うものだ。

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