白雲去来

蜷川正大の日々是口実

雪が、ただの汚れたかたまりになっている。

2018-01-26 10:50:16 | 日記
一月二十三日(火)晴れ。

昨日の雪から一転、良い天気となった。近所の人たちが、雪かきをしている。朝食前に、子供たちと一緒に自宅前の雪をどけた。たかがこの程度の雪を片づけるのにも、一苦労なのに、雪国の人たちは、毎年、雪と格闘しながら生活をしている。横浜などにいると、たまにの雪は、何か神様からのプレゼントのように思うこともあるが、そんなことを雪国の人に言ったら怒られそうだ。

朝食は、大根と鶏肉の煮物。暮に頂いた「茅の舎」の出汁を使ってコトコトと煮た。清風楼の焼売、イワシの丸干し。昼は、カップ麺の天ぷらそば。夜は、友人と、自宅近所の「浜一寿司」にて一献。

夕方には、幹線道路にはすっかりと雪が無くなり、車の通行が可能になっている。これでまた雪が降れば、白い雪の上へまた雪が重なりそれがいつの間に周りの音を遮断するくらいの深さまで達し、山頭火が詠んだ「雪へ雪ふるしずけさにをる」となるのだが。ほとんどの雪が解けて、道路のわきに片づけられ、泥に汚れた雪を見ると、ちょっと可哀そうな気になる。真っ白で、純真無垢なイメージの雪が、捨てられ汚れて、溶けて消えて行く。私たちは、そんなことがあったことも忘れて、当たり前のように、同じ道を歩いてゆく。「雪、雪、雪の一人」も山頭火である。

七時前に愚妻が合流。九時前に解散。帰宅。

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激しき雪

2018-01-26 10:07:23 | 日記
一月二十二日(月)雪。

天気予報では、午後から雪になると言う。それも平地でも積雪の可能性が大と言うこと。我が家は、高台にあるので、雪が積もると全く動けなくなる。車も、数年に一度の雪のためにチェーンやスタッドレスを用意する気にもなれない。こんな時は、籠城を決め込むことが得策と、早々と事務所(事務所も高台にあり雪の日は行けない)に行き、郵便物やメールのチェックをしてから、籠城のための食料品の買い出し。

予報通りに、二時ごろから雪となった。子供の頃、積もるような雪が降ると、なぜか母が、「ニ・二六事件を思い出すネェー」というのが口癖だった。その頃は、二・二六事件がどんな事件なのかは知らなかったが、横浜にたまに降る雪と、母の言う「事件」というのが相俟って、何か妖しいものを連想させた。二・二六事件に関する映画を見たのは、昭和三十七年公開の東映映画の「脱出」だった。青年将校に襲撃された首相官邸から、岡田首相が、文字通り脱出する映画なのだが、主演の高倉健や江原慎二郎の軍人姿がとても良く、ドキドキしながら見たのを良く覚えている。私は、小学校の五年生だった。

夕方頃には、それまでの舞うような雪から、一転、「激しき雪」となった。子供たちや愚妻が帰ることが出来るのか少々不安になり、ラインを入れる。大学も交通の乱れが予想できるのだからもっと早く授業を打ち切れば良いのに、結局、四時過ぎに「帰る」との連絡。上の子供も、家の手前の坂でバスが立ち往生し、歩くハメに。愚妻も同じ。下の子供は、保土ヶ谷駅から自宅まで歩いて帰ってきた。日本の将来を担う子供を教育する大学の教授が、大雪で帰宅困難になることも予想できない何んて、頭は良いのかもしれないが、人間的には、アホであることがうかがい知れる。と言っては失礼だろうか。

皆が揃ってから、当然鍋を囲んだ。かなり激しい勢いで雪が降っている。ふと、「これより、妖雪を払い、ご聖断を仰ぎ、昭和維新を断行する」との決起部隊の青年将校、栗原安秀中尉の声が聞こえたような気がした。

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