一月二十三日(火)晴れ。
昨日の雪から一転、良い天気となった。近所の人たちが、雪かきをしている。朝食前に、子供たちと一緒に自宅前の雪をどけた。たかがこの程度の雪を片づけるのにも、一苦労なのに、雪国の人たちは、毎年、雪と格闘しながら生活をしている。横浜などにいると、たまにの雪は、何か神様からのプレゼントのように思うこともあるが、そんなことを雪国の人に言ったら怒られそうだ。
朝食は、大根と鶏肉の煮物。暮に頂いた「茅の舎」の出汁を使ってコトコトと煮た。清風楼の焼売、イワシの丸干し。昼は、カップ麺の天ぷらそば。夜は、友人と、自宅近所の「浜一寿司」にて一献。
夕方には、幹線道路にはすっかりと雪が無くなり、車の通行が可能になっている。これでまた雪が降れば、白い雪の上へまた雪が重なりそれがいつの間に周りの音を遮断するくらいの深さまで達し、山頭火が詠んだ「雪へ雪ふるしずけさにをる」となるのだが。ほとんどの雪が解けて、道路のわきに片づけられ、泥に汚れた雪を見ると、ちょっと可哀そうな気になる。真っ白で、純真無垢なイメージの雪が、捨てられ汚れて、溶けて消えて行く。私たちは、そんなことがあったことも忘れて、当たり前のように、同じ道を歩いてゆく。「雪、雪、雪の一人」も山頭火である。
七時前に愚妻が合流。九時前に解散。帰宅。
昨日の雪から一転、良い天気となった。近所の人たちが、雪かきをしている。朝食前に、子供たちと一緒に自宅前の雪をどけた。たかがこの程度の雪を片づけるのにも、一苦労なのに、雪国の人たちは、毎年、雪と格闘しながら生活をしている。横浜などにいると、たまにの雪は、何か神様からのプレゼントのように思うこともあるが、そんなことを雪国の人に言ったら怒られそうだ。
朝食は、大根と鶏肉の煮物。暮に頂いた「茅の舎」の出汁を使ってコトコトと煮た。清風楼の焼売、イワシの丸干し。昼は、カップ麺の天ぷらそば。夜は、友人と、自宅近所の「浜一寿司」にて一献。
夕方には、幹線道路にはすっかりと雪が無くなり、車の通行が可能になっている。これでまた雪が降れば、白い雪の上へまた雪が重なりそれがいつの間に周りの音を遮断するくらいの深さまで達し、山頭火が詠んだ「雪へ雪ふるしずけさにをる」となるのだが。ほとんどの雪が解けて、道路のわきに片づけられ、泥に汚れた雪を見ると、ちょっと可哀そうな気になる。真っ白で、純真無垢なイメージの雪が、捨てられ汚れて、溶けて消えて行く。私たちは、そんなことがあったことも忘れて、当たり前のように、同じ道を歩いてゆく。「雪、雪、雪の一人」も山頭火である。
七時前に愚妻が合流。九時前に解散。帰宅。