一月十八日(木)晴れ。
野菜が高いからと言って、酒を飲むことを考えたら、安いものだと嘯いて、四分の一にカットされた白菜を買うことの淋しさよ。中華街で買った「キクラゲ」を戻して、ナルトも入れて、ウェイパーで味付けしてから片栗粉でとろみをつけて朝食のおかずにした。我が家の家族は、皆これが好きである。スープも、きくらげと豆腐のスープ。昼は抜いた。夜は、牛タン、いなり焼き(油揚げの中に、ひき割り納豆と山芋を入れて軽く焼いたもの)、ともやしのナムル。お供は「黒霧島」。
食い物の話ばかりで恐縮だが、浪人暮らしの身としては「ふぐ」に「うなぎ」は贅沢品である。のんべぇなので、この時期には、熱燗のヒレ酒をやりつつ、フグ刺しで、浮世離れをするのが楽しみだが、幕末の志士、梅田雲浜の歌ではないが「妻は病床に臥し、子は飢えに泣く」という状態(大げさですが)で、一人こっそりふぐを食べに行くと言うのも、罪悪感に苛まれる。うなぎもそうだ。ちょっとした鰻屋で、肝焼き、う巻、白焼きで一杯やった後に、うな重となると、諭吉つぁんが二枚は出て行ってしまう。はぁー。とため息が五回ほど出るので、それを考えると二の足を踏む。
「週刊文春」の平松洋子さんのコラム「この味」で知ったのだが、歌人の斉藤茂吉は大の鰻好きだったそうだ。その証拠に、斉藤茂吉記念館の運営に尽力した、林谷廣氏の著書『文献 茂吉と鰻』という本もある。「ゆふぐれし机の前にひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり」と詠んだ昭和三年には、実に六十八回も鰻を食べている。何と五日に一回の割合で食べているのだ。自宅他、銀座の「竹葉亭」、青山「佐阿徳」、浅草「前川」など都内のあちこちの店に行く。この三店の内、青山の「佐阿徳」は閉店してしまったが、「竹葉亭」と「前川」は営業している。戦時中も鰻の缶詰を幾つもストックしていたと言う。「もろびとのふかきこころにわが食みし鰻のかずをおもふことあり」と詠んだ。
俺も生きたや茂吉のように、鰻と酒のその世界。と「人生劇場」にシャレてみた。
野菜が高いからと言って、酒を飲むことを考えたら、安いものだと嘯いて、四分の一にカットされた白菜を買うことの淋しさよ。中華街で買った「キクラゲ」を戻して、ナルトも入れて、ウェイパーで味付けしてから片栗粉でとろみをつけて朝食のおかずにした。我が家の家族は、皆これが好きである。スープも、きくらげと豆腐のスープ。昼は抜いた。夜は、牛タン、いなり焼き(油揚げの中に、ひき割り納豆と山芋を入れて軽く焼いたもの)、ともやしのナムル。お供は「黒霧島」。
食い物の話ばかりで恐縮だが、浪人暮らしの身としては「ふぐ」に「うなぎ」は贅沢品である。のんべぇなので、この時期には、熱燗のヒレ酒をやりつつ、フグ刺しで、浮世離れをするのが楽しみだが、幕末の志士、梅田雲浜の歌ではないが「妻は病床に臥し、子は飢えに泣く」という状態(大げさですが)で、一人こっそりふぐを食べに行くと言うのも、罪悪感に苛まれる。うなぎもそうだ。ちょっとした鰻屋で、肝焼き、う巻、白焼きで一杯やった後に、うな重となると、諭吉つぁんが二枚は出て行ってしまう。はぁー。とため息が五回ほど出るので、それを考えると二の足を踏む。
「週刊文春」の平松洋子さんのコラム「この味」で知ったのだが、歌人の斉藤茂吉は大の鰻好きだったそうだ。その証拠に、斉藤茂吉記念館の運営に尽力した、林谷廣氏の著書『文献 茂吉と鰻』という本もある。「ゆふぐれし机の前にひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり」と詠んだ昭和三年には、実に六十八回も鰻を食べている。何と五日に一回の割合で食べているのだ。自宅他、銀座の「竹葉亭」、青山「佐阿徳」、浅草「前川」など都内のあちこちの店に行く。この三店の内、青山の「佐阿徳」は閉店してしまったが、「竹葉亭」と「前川」は営業している。戦時中も鰻の缶詰を幾つもストックしていたと言う。「もろびとのふかきこころにわが食みし鰻のかずをおもふことあり」と詠んだ。
俺も生きたや茂吉のように、鰻と酒のその世界。と「人生劇場」にシャレてみた。