白雲去来

蜷川正大の日々是口実

茂吉と鰻。

2018-01-22 16:40:15 | 日記
一月十八日(木)晴れ。

野菜が高いからと言って、酒を飲むことを考えたら、安いものだと嘯いて、四分の一にカットされた白菜を買うことの淋しさよ。中華街で買った「キクラゲ」を戻して、ナルトも入れて、ウェイパーで味付けしてから片栗粉でとろみをつけて朝食のおかずにした。我が家の家族は、皆これが好きである。スープも、きくらげと豆腐のスープ。昼は抜いた。夜は、牛タン、いなり焼き(油揚げの中に、ひき割り納豆と山芋を入れて軽く焼いたもの)、ともやしのナムル。お供は「黒霧島」。

食い物の話ばかりで恐縮だが、浪人暮らしの身としては「ふぐ」に「うなぎ」は贅沢品である。のんべぇなので、この時期には、熱燗のヒレ酒をやりつつ、フグ刺しで、浮世離れをするのが楽しみだが、幕末の志士、梅田雲浜の歌ではないが「妻は病床に臥し、子は飢えに泣く」という状態(大げさですが)で、一人こっそりふぐを食べに行くと言うのも、罪悪感に苛まれる。うなぎもそうだ。ちょっとした鰻屋で、肝焼き、う巻、白焼きで一杯やった後に、うな重となると、諭吉つぁんが二枚は出て行ってしまう。はぁー。とため息が五回ほど出るので、それを考えると二の足を踏む。

「週刊文春」の平松洋子さんのコラム「この味」で知ったのだが、歌人の斉藤茂吉は大の鰻好きだったそうだ。その証拠に、斉藤茂吉記念館の運営に尽力した、林谷廣氏の著書『文献 茂吉と鰻』という本もある。「ゆふぐれし机の前にひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり」と詠んだ昭和三年には、実に六十八回も鰻を食べている。何と五日に一回の割合で食べているのだ。自宅他、銀座の「竹葉亭」、青山「佐阿徳」、浅草「前川」など都内のあちこちの店に行く。この三店の内、青山の「佐阿徳」は閉店してしまったが、「竹葉亭」と「前川」は営業している。戦時中も鰻の缶詰を幾つもストックしていたと言う。「もろびとのふかきこころにわが食みし鰻のかずをおもふことあり」と詠んだ。

俺も生きたや茂吉のように、鰻と酒のその世界。と「人生劇場」にシャレてみた。

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逮捕されたラッパーの祖父は、もと特務機関長。

2018-01-22 15:18:29 | 日記
一月十七日(水)曇り。

様々なジャンルの音楽を聞くが、どうしてもだめなのは、ラップとパンクロックだ。特にラップを聞くとお経を思い出して、楽しくない。テレビを見ていたら、「うぇいよー!」とか言う掛け声?で有名なUZIというラッパー?がマリファナの使用容疑で逮捕されたと言うニュースをやっていた。そのニュースを聞くまで、そのラッパーの存在を知らなかったが、本名が許斐(このみ)氏大という名前であることを知って、おやっと思った。苗字が珍しいし、名前に「氏(うじ)がつくので、もしかしたらと思ったのである。それで調べてみたら、やっぱり戦前に上海などで活躍した「許斐機関」の許斐氏利(このみうじとし)氏のお孫さんだった。

許斐氏利氏は、明治大学政経科入学。同大学在学中は右翼学生団体「愛国学生連盟」に参加し、1933年1月23日、辻嘉六の指示により、立憲政友会の衆議院議員門田新松を襲撃。この事件で指名手配を受けて逮捕されたが、辻嘉六らの手回しで起訴猶予となる。一方、この事件により講道館から破門を受け、武道家として立つことを断念した。この逮捕により明治大学から退学処分を受け、日本大学英法科に転じている。

1935年1月1日、政治結社「大化会」に入会。大化会の活動を通じて北一輝の書生となり、1936年の二・二六事件では北一輝や西田税を護衛。やがて北らの逮捕後は許斐自身も憲兵の尾行を受けるようになったため、1937年、大化会会長岩田冨美夫の勧めで中国大陸に渡り、漢口駐在武官の長勇中佐の下で関東軍直属の特務機関員(身分は軍属)として働き始める。このころ、岩田の盟友・伊達順之助から共産ゲリラ掃討を目的に射撃の訓練を受ける。のちには自ら許斐機関を組織し、100名の特務機関員を率いて上海とハノイで地下活動に従事。阿片を使った工作活動を手がけた。

戦後は、銀座松坂屋裏にマッサージ嬢を配した一大ヘルスセンターの東京温泉を開業。また、クレー射撃選手としても活動し、1956年のメルボルンオリンピックに出場した他、1958年に東京で行われたアジア競技大会では優勝を収めた。日本クレー射撃協会の第3代会長にも就任している。1980年3月死去、享年68歳。許斐氏のことを、詳しく知りたい人は、牧ひさし『特務機関長許斐氏利―風淅瀝として流水寒し』という本が出ているので、ご参考まで。

酔狂亭の日常は、朝食は、サンマの干物、宇都宮の「みんみん」の餃子、豆腐の味噌汁。昼は、下の子供と、伊勢佐木町のカレーのお店「モハン」にて、チキンカレーとナン。夜は、ブリの刺身、手羽先焼き、ひき割り納豆のいなり包み焼き。お供は「黒霧島」。

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