白雲去来

蜷川正大の日々是口実

世に処(お)ること 大夢の若し。

2020-03-05 15:32:21 | 日記
二月二十七日(木)曇り。

歳のせい、と言えば何でも許されるような気がする。この時期、雨でも降ってとてつもなく寒い日など、何もせずに自宅にいて一日が終わる時がある。何をしていたのか・・・。朝起きて食事をして、コオヒイを飲んで、ユーチューブやコンポで好きな歌手の音楽を聴き、昼になればまた飯を食い、コオヒイを飲み、本を読んでウトウトして、暗くなれば、「黒霧島」を相手に独酌する。

寝ようとして布団に入ると、今日の一日を思い、その堕落に慄然とすることがある。残り少ない大切な一日を無駄にしたことの後悔に一瞬苛まされるが、雨や寒さのせいにして忘れることにしている。李白の詩に「春日、酔いより起きて志を言う」と言うものがある。その一節。

世に処(お)ること 大夢の若し
胡爲(なんすれ)ぞ 其の生を労する
所以(ゆえ)に終日醉い
頽然(たいぜん)として 前楹(ぜんえい)に臥す ※前楹は「入口の柱」の意

訳、この世に生きることは、大きな夢を見ているようなの。
どうして、あくせくと、我が生を苦しめてよいものか。
だからこそ、一日ぢゅう酔っぱらい、
くずれるように、広間の南の柱あたりに倒れ臥す。
(『李白詩選』松浦友久編訳・岩波文庫)

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二・二六の今年は獄のほそ霙。

2020-03-05 15:32:21 | 日記
二月二十六日(水)曇り。

今日は、昭和十一年に起こった、いわゆる二・二六事件から八十四年目の日。野村先生の獄中句「銀河蒼茫」の中に、「二・二六の今年は獄のほそ霙」がある。二・二六事件に関する本は随分と読んだ。その中で、印象に残っているものと言えば、末松太平の「私の昭和史」、大蔵栄一の「二・二六事件への挽歌」、立野信之の「叛乱」、河野司の「湯河原襲撃」などであろうか。

一時期、二・二六事件関係の本を片っ端から集め読んでいたが、きりがないので、この十年ぐらいはほとんど新刊を読んでいない。その昔、古書店で、事件に関係した青年将校たちの遺墨を集めた「霊の国家」(だったか?)という本を買った時には、とても興奮した。その後、青年将校だけではなく一般の兵隊にスポットを当てた「二・二六事件と郷土兵」などという本も出版され、これも興味深く読んだ。しかし、いくら読んでも事件の本質は動くことはなく、あとはどう評価するのかや決起した人たちの個人的な人間関係、エピソードにいかに関心を持つかということに尽きるのではないか。最も、私は、研究家ではないので、事件の精神を少しでも理解し受け継ごうとするだけだ。

残念ながら今日は雪とはならなかったが、曇りの寒い朝。そんな日の朝食は、朝からカレー、あさりの味噌汁。昼は、事務所で焼きそばパン。夜は、豚肉鍋、イカバター、お供は「黒霧島」。

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