白雲去来

蜷川正大の日々是口実

千里鶯啼いて緑紅に映ず 。

2020-03-06 12:45:09 | 日記
二月二十八日(金)晴れ。

新聞を取ろうと思って玄関に出たらウグイスの鳴く声を聞いた。天気も良いし、春を実感する一瞬だった。杜牧の「江南の春」を鼻歌代わりに口ずさむ。

ー江南の春ー
千里鶯啼いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗の風
南朝四百八十寺
多少の楼台煙雨の中

江南とは大きな川の南側の意味。中国だけではなく日本にも韓国にも江南はある。韓国ではカンナム。王維の「鶯啼いて山客猶眠る」で始まる「田園の楽しみ」も好きだ。この詩を読むと、なぜか春雨に煙る東京拘置所で死刑囚だった永山則夫氏と新舎と旧舎の分かれ道の所にあった桃の木(だったと思う)の所で面会室に行く道すがらにすれ違ったことを思い出す。確か弁護人は旧知の遠藤誠先生だった。昭和六十二年の春のことである。その頃の東拘には、連合赤軍事件や連続企業爆破事件の人たち、ロス疑惑の三浦和義氏、前述の永山則夫氏などの大物?が随分いた。

ー田園楽ー
桃は紅にして復た宿雨を含み
柳は緑にして更に春煙を帯ぶ
花落ちて家童未だ掃らわず
鶯啼いて山客猶眠る

午前中に川崎の病院で頭のMRIの検査。終了後にご紹介して頂いたIさんと待合室で会う。共に先生から問診。お陰様で大事なし。お礼を言って別れる。夜は、長女と「オアジ」にて待ち合わせて夕食。「お父さん飲み過ぎ」と怒られるのも嬉しいやら、寂しいやら複雑である。




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