三月三日(火)晴れ。経団連事件の日。
野村先生が同志らと「財界の営利至上主義を撃つ」として財界の総本山である経団連会館を襲撃・占拠したのが四十三年前の今日のことだった。当時、私は二十六歳。何気なくテレビを見ていたら臨時ニュースで「右翼が経団連を襲撃」というテロップが流れた。すぐに野村先生たちの行動とピンと来た。居ても立ってもいられなかったが、何をして良いか分からなかった。何で、俺が家にいるのかと、いたたまれなかった。何年たっても今日の日が来ると、あの時の忸怩たる思いが甦る。その時に城山三郎の小説『一歩の距離』を読んだことが、その後に私の背中を押してくれた。最も十年の歳月を必要としたが。早いもので、経団連事件から四十三年が過ぎたか・・・。
「経団連事件」を扱ったものでは、事件の翌年(昭和五十三年)の四月に発売された『愛国戦線』の通巻百四十号、「特集・経団連事件」が良くまとめられている。津久井龍雄・永田美穂・須藤久・丸山照雄・相田浩といった人たちの事件への所感。更に弁護団の「冒頭陳述」弁護団の「最終弁論」、東京地裁の「判決文」が掲載されている。そして永田美穂さんのタイトルがまたいい。「萩がこぼれる、桜がまた散る」である。また、今日は、「桜田門外の変」の日でもある。水戸で行われていると言う「烈士祭」にいつか参加してみたいと思っている。
久しぶりに一時間ほど歩いた。途中弘明寺商店街の近くで志村馨君と遭遇。帰宅後は、ドーナツにコオヒイの昼食。その後に事務所へ。夜は、おでん、タケノコのから揚げを肴に「黒霧島」で月下独酌。
野村先生が同志らと「財界の営利至上主義を撃つ」として財界の総本山である経団連会館を襲撃・占拠したのが四十三年前の今日のことだった。当時、私は二十六歳。何気なくテレビを見ていたら臨時ニュースで「右翼が経団連を襲撃」というテロップが流れた。すぐに野村先生たちの行動とピンと来た。居ても立ってもいられなかったが、何をして良いか分からなかった。何で、俺が家にいるのかと、いたたまれなかった。何年たっても今日の日が来ると、あの時の忸怩たる思いが甦る。その時に城山三郎の小説『一歩の距離』を読んだことが、その後に私の背中を押してくれた。最も十年の歳月を必要としたが。早いもので、経団連事件から四十三年が過ぎたか・・・。
「経団連事件」を扱ったものでは、事件の翌年(昭和五十三年)の四月に発売された『愛国戦線』の通巻百四十号、「特集・経団連事件」が良くまとめられている。津久井龍雄・永田美穂・須藤久・丸山照雄・相田浩といった人たちの事件への所感。更に弁護団の「冒頭陳述」弁護団の「最終弁論」、東京地裁の「判決文」が掲載されている。そして永田美穂さんのタイトルがまたいい。「萩がこぼれる、桜がまた散る」である。また、今日は、「桜田門外の変」の日でもある。水戸で行われていると言う「烈士祭」にいつか参加してみたいと思っている。
久しぶりに一時間ほど歩いた。途中弘明寺商店街の近くで志村馨君と遭遇。帰宅後は、ドーナツにコオヒイの昼食。その後に事務所へ。夜は、おでん、タケノコのから揚げを肴に「黒霧島」で月下独酌。