白雲去来

蜷川正大の日々是口実

落下傘事件。

2021-08-18 17:42:13 | 日記

8月14日(土)雨。

オリンピックのスケートボードの競技で、私の孫のような世代の人がメダルを獲得した。凄いなぁーと思う反面、あんな「地獄に逆落とし」のような急こう配をいとも簡単に降りて行く。私などは、上から下を見ただけで、足がすくむに違いあるまい。子供の頃は、2メートルくらいの高さから平気で飛び降りることができたのに、大人になると恐怖心が先だって、とてもできない。

子供の頃の話で恐縮だが、私の住んでいたアパートのすぐ近くに普門院というお寺があった。その境内で良く遊んだのだが、ご住職の住まいのすぐ裏に防空壕があり、肝試しに使ったりしていた。そのお寺の石垣の高さが、3メートルほどあって、中々飛び降りることができなかった。そう思っている時に、アパートの近くに、誰が置いたのか、大人用のかなり大きめなコウモリ傘が置いてあった。頭に浮かんだのは、これを開いて落下傘のようにすれば、お寺の壁から飛び降りることができるのではないか。

近所の、悪ガキを集めて注視する中で、傘を開き、柄を両手でしっかりと掴んで飛び降りた。あっという間に傘は「オチョコ」になって何の役にも立たず、足をくじいた。一緒に居た友達が「まあちゃん(私のことです)がお寺の壁から飛び降りて怪我をした」といって母を呼びに行った。慌ててやって来た母は、痛くて半べそをかいている私を、「大丈夫か」と聞く前に、思い切り頭を殴った。幸いに軽いねん挫で済み、近くの病院に行き湿布をして貰うだけで済んだが、雨の日に、黒い傘を見かけると、子供の頃の落下傘事件を思い出す。

夜は、自宅の近くに出来たロピアで買った肉を「やきまる君」を使って焼肉。お供は「薩摩茶屋」。


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雪なんか降らなくったって、昭和は遠くなった。

2021-08-18 17:10:20 | 日記

8月13日(金)雨。

子供の頃、さっと一雨来て、雨が上がると、近所の人が「いいお湿りでした」。なんていう挨拶をしていたのを覚えている。道路がまだあまり舗装されてなく、埃っぽかった頃の名残だろうが、今では、そんな挨拶をする人もいなくなった。現在の中、高校生に「78・45・33回転」や「SP・LP・ドーナツ盤」といってもほとんど分からないそうだ。雪など降らなくとも、昭和は遠くになりにけり。である。

13日の金曜日を「縁起が悪い」。などと思う人もいなくなった。まあ耶蘇教じゃないから当たり前か。札幌の梶浦直樹、関西の岸田忠稔両社友の映画好き、に影響されたわけではないが、最近よく映画を見る。と言っても岸田さんのように映画館に行くわけではなく、もっぱら我が家でネットフリックやアマゾンプライム、ユーチューブなどで面白そうなものを探してみている。大体、一杯やりながら見ていることもあって、見たことを忘れて、もう一度見てしまう。それも途中になって気が付くのだから始末に悪い。更に翌日になると、見た映画の題名すら忘れている。これからは、梶浦君のようにせめてタイトルを日記にメモしようと思っている。

朝は、サバのみりん干し、キムチ、もやしのスープ。昼は、頂き物の「どら焼き」一個。夜は、カツオの刺身、焼売、にゅう麺。お供は「薩摩茶屋」。雨の音を聴きながら酔狂亭にて独酌。

「降る雪や明治は遠くなりにけり」俳人・中村草田男の句。この句は昭和6年、大学生だった草田男が訪問した際に詠んだもので、草田男の代表句。草田男は中国、東京、松山と引っ越しを繰り返したが、小学校時代の大半は赤坂区青南尋常小学校(のちの青南小学校)に通学した。その後、20年ぶりに母校を訪れ変わらぬたたずまいに安堵しますが、雪が降り出すとともに校庭に外套を着た子どもが現れるのを見て、着物に下駄だった自分のころとの隔たりを感じ、その思いを詠んだ。


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