白雲去来

蜷川正大の日々是口実

アナログな時代の頃。

2021-08-24 16:32:58 | 日記

8月20日(金)晴れ。

昨日の、ポスターの話の続き。昭和の時代の民族派運動の主流は、街宣車による街頭活動とポスター戦が主流だった。当時は、主要駅等での停止街宣は比較的自由に行うことができた。最も、私がこの運動に参加した昭和46、7年頃は街宣車は神奈川県に大磯の大日本殉皇会の一台しかなかったと記憶している。月に一度、大磯から平塚までの各駅での停止街宣や走りながらの「流し街宣」(尊皇攘夷街頭宣伝)に精を出した。覚えているのは、小早川貞夫先生が、「この軟弱な時代に、軍歌を流して聞かせることで、世の中に喝を入れるんだ」。と言ったことをよく覚えている。当時は、珍しかったのか街宣車に向かって手を振る人がかなりいた。

街宣車は現在でも活発だが、中々、主要駅での停止街宣が交通事情や、道路使用などの問題で限られてきた。更に、ポスター貼りは、昔は現行犯でなければ逮捕されなかったが、現在では、貼ったと思われる団体に「被疑者不詳」で家宅捜査が入ったり、貼った個人が特定されると、20万、30万(各県によって違うらしい)などという法外な罰金を科せられる。また電信柱などは、ポスター除けの特殊なゴムが巻いてあり、貼れなくなった。従って、都内はもとより各地に民族派の街頭ポスターがほとんど見られなくなった。もちろん左翼とて同じだ。

今でもたまに、まっさらな電信柱を見ると、「ポスターを貼りたい」という思いが脳裏をよぎる。ポスターが、SNSやユーチューブ、フェイスブック、ブログ等に代わり、民族派も文明の利器を利用するようになった。しかしアナログな時代も懐かしく思える今日この頃でもある。

夜は、マグロの刺身、「王将」の水餃子、肉じゃが。お供は「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。

※写真は、昭和48年頃、私が主宰していた横浜青年政治研究会のポスター。当時、私は「一誠」と名乗っていた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貴重なポスターの保存。

2021-08-24 15:25:25 | 日記

8月19日(木)晴れ。

コロナにアフガン情勢に横浜市長選挙。全く繋がりはないけれど、当然ながらそれぞれ気になることばかり。といって浪人風情の私はただの傍観者でしかない。私以外の家族がやっと来週にワクチンの接種の予定が入った。二回目は9月とのことだが、今の所コロナに対抗するのはワクチンの接種以外にない。

随分前に、古い同志の永尾隆美さんんから貴重なポスターのスクラップブックをご恵送頂いた。保存状態も良く貴重な運動の資料としてデーター化するつもりでいた。ポスターりサイズは「A3」である。以前、A3まで取り込むことの出来るスキャナーを買って事務所に置いておいたが、しばらく使っていなかったこともあって調子が悪い、メーカーに問い合わせをしたところ、新しいのを買った方が良いかもしれない。とのこと。この時期に頭が痛いが、何とか導入して、弊社の「民族派情報」という誰でもがアクセスできるサイトを作って、研究者のために公開したいと思っている。

ポスターといえば、やはり以前、大日本愛国党の舟川孝さんから愛国党のポスターをまとめた写真データーを頂いた。愛国党のポスターはそのまま日本の戦後史を象徴している。植木等が主演した映画「無責任シリーズ」に、植木がガールフレンドと丸の内を歩くシーンの中に愛国党のポスターが映っていたこともある。東京のガード下に愛国党のポスターがあると、何の説明がなくても、それはそのまま「昭和の下町」のシーンであることがわかる。愛国党のポスターの写真集を作ってみたいと思うこともある。

切るほどの髪の毛もないが、一応たしなみとして久しぶりに床屋へ。その後事務所にて郵便物の確認。夜は、もずく天、親子丼の頭、キャベツと挽肉炒め。お供は「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする