白雲去来

蜷川正大の日々是口実

港北区の古刹が疎開先。

2021-08-19 16:53:07 | 日記

8月16日(月)雨。

この二、三日まるで梅雨に逆戻りしたような日が続いている。朝方、夏掛けの毛布だけでは寒くて、慌ててジャージを着た。何でも九州などでは大雨で川が氾濫したとか。コロナに加えてこの自然災害か。何とかならないものか。

『週刊文春』の8月12・19日夏の日特大号の、女優の草笛光子さんのエッセイ「きれいに生きましょうね」の今回のタイトルは「疎開と食べ物」である。その中にこういう文章がある「昭和19年8月、私が住んでいた横浜でも空襲がひどくなって、学童疎開をしました。といっても行き先は、同じ横浜の小机です。(注・港北区、新横浜駅近く)我が家のあった斎藤分町(注・神奈川区)から三会寺(さんねじ)というお寺まで、国民学校の同級生と歩いて行きました」。読んでいてエッと思った。その三会寺とは、後輩で、かつて統一戦線義勇軍や大日本殉皇会で運動していた板垣哲雄君のお墓のあるお寺である。板垣君は、平成10年1月13日に東京証券取引所にいわゆる「ビックバン」に反対し、拳銃を持って立てこもった。

懲役8年の刑を受けて服役していたが、出所を一ケ月後に控えた平成18年3月4日、肝臓がんのために八王子の医療刑務所にて死去した。その彼の遺体を引き取りに行ってくれたのが三会寺のご住職だった。その後、ゆかりの同志らと共に、彼の菩提寺である三会寺で葬儀を執り行った。3回忌、7回忌が過ぎ、来年は13回忌となる。古刹、三会寺には、日露戦争や上海事変、大東亜戦争で亡くなられた軍人のお墓が多い。私も古希を過ぎ、板垣は君には申し訳ないが来年の13回忌をもって弔い上げとするつもりでいる。

夜は、牛筋煮、ハンバーグ、ペンネのトマトソース煮。お供は「薩摩茶屋」。酔狂亭にて独酌。


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終戦の日。

2021-08-19 11:06:46 | 日記

8月15日(日)雨。終戦の日。

8月を詠んだ有名な句に、八月や六日九日十五日。というものがある。どなたの句かと言われても作者が特定できないほど様々な人が詠んでいる。もちろん悪気などない。「俳句は類似句との闘い、といわれる。わずか17文字の短詩ゆえに、そっくりの作品が先行している可能性は常にある」。とは「産経抄」の解説。まあこの句の意味が分からないという人は少ないだろうが、失礼を承知で言えば、意味の解らない人は、日本人として、自身の来し方を少々反省した方が良いかもしれない。

しばらく、この日に靖国神社に行っていない。参道の喧騒や境内のコスプレ・・・。静かにお参りできないこともあって足が遠のいている。大東亜戦争にこだわるのであれば、何も今日ではなくて12月8日の開戦の日に参拝した方が良いと思うのだが。そして「大東亜決戦の歌」を高らかに歌おうではないか。

「大東亜決戦の歌」は、大東亜戦争開戦の翌日募集され、5日後、昭和16年12月13に締め切られた。詞は、伊藤豊太という東京在住の青年が選ばれ、曲は海軍軍楽隊が作った。コロムビア盤の吹き込み歌手は、霧島昇、藤山一郎、ビクター盤の吹き込み歌手は、波岡惣一郎、柴田睦陸、大谷冽子、中村淑子である。(ウイキペディア)

「起つや忽(たちま)ち撃滅の かちどき挙がる太平洋 東亜侵略百年の 野望をここに覆(くつがえ)す いま決戦の時来る」。大東亜戦争の真の目的がこの歌に明確に示されている。

珍しく寒い朝だった。軒先の風鈴がこの寒さでは似合わない。落語家の桂米朝の句に「風鈴も鳴らず八月十五日」。というものがある。

 


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