9月9日(金)曇。
空が今にも泣きだしそうな朝。朝食は、サヨリのようなサンマの塩焼き、オムレツ、もやしの味噌汁。昼は、トースト一枚。夜は、鶏の手羽先と大根の煮物、茄子と豚肉の炒め物、豆腐のステーキ。お供は、菊の花弁を浮かべた「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。
今日は、重陽、菊の節句である。私は、個人的にこの日が好きだ。金があろうとなかろうと、近所の花屋で白菊を買って愛でる。『銀河蒼茫』と共に座右の書でもある『唐詩選』の中には、今日の日の事を詠んだ詩が多く、どれも胸を打つ良いものが多い。ご存知の方も多いだろうが、この重陽の節句は中国の文化である。奇数が縁起の良いと思われている国で、九が重なるから、「重陽」。中国では、この日、茱萸(ぐみの実)を袋に入れて丘や山に登ったり、菊の香を移した菊酒を飲んだりして邪気を払い、長寿を願う「登高」という習慣があったそうだ。
ご皇室では、陛下やご皇族が紫宸殿に集り、詩を詠んだり菊花酒を飲み穢れを祓い長寿を願った。中国では、菊は不老長寿の薬としての信仰があり、観賞用としてよりも先に、薬用として用いられていた。漢詩の中でも、陶淵明や杜甫などに、この重陽の日の習慣である「登高」を詠んだ詩が多い。その中でも、私が好きなのは、王維の、「九月九日憶山東兄弟」(九月九日山東の兄弟を憶う)の詩である。
独在異郷為異客 (独り異郷に在って異客と為り) 毎逢佳節倍思親 (佳節に逢ふ毎(ごと)に倍(ますま)す親を思ふ)の二節には、北海道時代の思い出が重なる。