白雲去来

蜷川正大の日々是口実

台風の三点セット。

2022-09-05 14:35:06 | 日記

9月3日(土)晴れ。

昼近くにのそのそと起きてきた家族と、朝食を作るのがめんどくさいので、「ほっともっと」でお弁当。私は「特のりタル弁」、家族は「チキン南蛮」。午前中に、お世話になっていてる方から沖縄の「塩モズク」がドカンと届いた。とても大きな段ボールだったので何かなと思ったら15キロもの「塩モズク」に「海ぶどう」。シェー!。早速、送って頂いた方にお礼の電話をしたら「塩モズクは一年持ちますから」。いやいやアデランスの代わりにしても、とても食べきれる量ではない。仲の良い人たちにおすそ分けした。頭の中に、酢の物、天ぷら、モズクご飯が浮かび、ほほが緩む。

今日は、東京行き。車中に電話が入り、昔、民族派運動をしていた後輩が、千葉県から自宅に寄ってくれて、梨を届けてくれた。有難し。馬喰町にて盟友と待ち合わせして、久しぶりに三ノ輪の「丸長寿司」へ。オヤジさんが私が来るというので飛び切りのカツオを用意してくれた。盟友らと、カツオや様々な料理を堪能。帰りは、横須賀線の馬喰町から保土谷まで一本。

9月は台風の季節。今は台風を1号、2号と呼ぶが、アメリカ占領下のむ日本ではキャスリーンとかキティとか女性の名前で呼んだと、本で読んだことがある。子供の頃に覚えているのが昭和34年9月26日に日本を襲った猛烈な台風.伊勢湾台風と呼ばれた。潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心にほぼ全国にわたって甚大な被害をもたらした。伊勢湾沿岸の愛知県・三重県での被害が特に甚大であったことからこの名称が付けられた。死者・行方不明者の数は5,000人を超え、明治以降の日本における台風の災害史上最悪の惨事となった。(ウイキ)

当時、私が母と住んでいたアパートは、台風などが来ると、必ず停電し、大雨が降れば雨漏りがした。テーブルの上にローソンを立てて火をつけ、缶詰を開けて食べた。そのころ缶詰は、そういった時にしか食べることのできない貴重品でもあった。ローソクの灯、雨漏りの音、缶詰。台風と聞くと、その三点セットを思い出す。


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昭和かよ。と「紙」の整理。

2022-09-05 14:12:22 | 日記

9月2日(金)雨のち曇。

のんびりと起きて、昼食を兼ねた朝食は、家族のお弁当の残りの、小エビのフライ、竹輪の磯辺揚げ、ナスの味噌汁。夜は、竹輪の中にカニカマを入れ、海苔を巻いて揚げた、山芋をシリシリして、やはり海苔で巻いて揚げたもの。麻婆豆腐。お供は「黒霧島」の「MELT」という特別の焼酎。瓶も美しいが味も良かった。酔狂亭にて独酌。

事務所で、野村事務所の頃から引き継いでいる「名刺」や様々な書類の整理をした。整理と言ってもほとんど廃棄した。名刺ホルダーだけでも10冊ぐらいはあっただろうか、そのままゴミ袋へ入れた。私もこの十年ぐらいは名刺を頂いても専用のホルダーに整理をしなくなった。全てパソコンに入力している。「予備」の欄に、何処で誰の紹介で会ったのかも入力する。一旦入力してしまえば、名刺は不用となる。そういえば住所録だって20年くらい前は、専用のノートに手書きしていたものだ。便利になったものだ。

機関誌も先生の本も「スキャンスナップ」で入力し、電子化するつもりでいるが、これは専門の人を雇わなければ無理かなと思っている。テレビのコマーシャルではないが「まだ紙を使っているの?昭和かよ。訳ワカメ」。パソコンを使っているせいか読める時も、書けなくなった。退化か進化か良く分からん。


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