9月3日(土)晴れ。
昼近くにのそのそと起きてきた家族と、朝食を作るのがめんどくさいので、「ほっともっと」でお弁当。私は「特のりタル弁」、家族は「チキン南蛮」。午前中に、お世話になっていてる方から沖縄の「塩モズク」がドカンと届いた。とても大きな段ボールだったので何かなと思ったら15キロもの「塩モズク」に「海ぶどう」。シェー!。早速、送って頂いた方にお礼の電話をしたら「塩モズクは一年持ちますから」。いやいやアデランスの代わりにしても、とても食べきれる量ではない。仲の良い人たちにおすそ分けした。頭の中に、酢の物、天ぷら、モズクご飯が浮かび、ほほが緩む。
今日は、東京行き。車中に電話が入り、昔、民族派運動をしていた後輩が、千葉県から自宅に寄ってくれて、梨を届けてくれた。有難し。馬喰町にて盟友と待ち合わせして、久しぶりに三ノ輪の「丸長寿司」へ。オヤジさんが私が来るというので飛び切りのカツオを用意してくれた。盟友らと、カツオや様々な料理を堪能。帰りは、横須賀線の馬喰町から保土谷まで一本。
9月は台風の季節。今は台風を1号、2号と呼ぶが、アメリカ占領下のむ日本ではキャスリーンとかキティとか女性の名前で呼んだと、本で読んだことがある。子供の頃に覚えているのが昭和34年9月26日に日本を襲った猛烈な台風.伊勢湾台風と呼ばれた。潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心にほぼ全国にわたって甚大な被害をもたらした。伊勢湾沿岸の愛知県・三重県での被害が特に甚大であったことからこの名称が付けられた。死者・行方不明者の数は5,000人を超え、明治以降の日本における台風の災害史上最悪の惨事となった。(ウイキ)
当時、私が母と住んでいたアパートは、台風などが来ると、必ず停電し、大雨が降れば雨漏りがした。テーブルの上にローソンを立てて火をつけ、缶詰を開けて食べた。そのころ缶詰は、そういった時にしか食べることのできない貴重品でもあった。ローソクの灯、雨漏りの音、缶詰。台風と聞くと、その三点セットを思い出す。