白雲去来

蜷川正大の日々是口実

愁思。

2022-09-17 16:57:06 | 日記

9月15日(木)曇。

朝食は、崎陽軒のシウマイ、明太子にとろろ昆布のスープ。昼は抜いた。夜は、久しぶりに一人飯。スーパーマルエツで買った「天丼」380円、春巻き3本、確か250円ぐらい、崎陽軒のシウマイ、焼きたらこ。肴が侘しいので、せめてもの酒は、とっておきの「黒霧島」の「MELT」という特別仕様のもの。かなり美味しかった。

アホな議員が旧統一教会の人と「名刺交換」をしてその折の名刺があったことで、役職を辞退したとニュースで見た。スブズブではなくミエミエ。我が党、我が議員はここまで潔癖にやっています。と宣伝したいのだろうが、その時点で反社会的な勢力であると警察や国政で指摘されていたならともかく、名刺交換したことのどこが悪いのか。では、同じ電車に乗り合わせたり、同じお店に居ても「反省と謝罪」をしなさい。アレ「反省と謝罪」か、どこかで聞いたことがあるなぁー。こうなってくるとその議員の発想自体がカルトだ。政治の力で「解散要求」をしてみたらどうだ。

暑い暑いと思っていたら、いきなり秋が深まった。季節の移ろいを歳なりに経験しているのだが、毎年、それぞれの季節の訪れに新たな感慨がある。秋になると思い出すのが唐の詩人、許 渾の「愁思」である。

琪樹(きじゅ)の西風 枕簟(ちんてん)秋なり

楚雲 湘水 同遊を憶(おも)う

高歌一曲 明鏡を掩(おお)う

昨日の少年 今は白頭

庭の木々に秋風が立ち、枕もとには秋が忍び寄った。楚の空にわく雲、湘水の流れを見るにつけ、私はかつて共に遊んだ人達のことを思い出し、声高く一節歌を唄って、私は思わず鏡に蓋をした。そこに写った姿を見れば、つい昨日まで若者だった人は、今はもう、白髪の老人となっていたから。訳者には大変失礼だが、漢詩は和訳すると趣がなくなる。(「唐詩選」)


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