白雲去来

蜷川正大の日々是口実

レタスがレタス様になった。

2011-09-17 13:38:05 | インポート

九月十四日(水)晴れ。

 夕食は体のことを考えて、なるべく野菜中心の食生活を送っている。玉ネギのスライス、カイワレ大根、キャベツの千切り、レタスなどをミックスして、ノンオイルのドレッシングをかけて食べている。後は、冷奴に刺身か焼き魚、というのが最近の夕食の定番となっている。

 その夕食の為にレタスを買いに行ったら、何と一個五百円もする。つい最近までは百二、三十円だった物がだ。何でも天候不良による結果らしいが、レタスが、一個五百円では、そう簡単に毎日食べるというわけには行かない。

 レタスには、私流の美味しい食べ方がある。それは、お湯を沸かした中にレタスを入れて、さっと茹でる。このときのコツは、沸騰したお湯にサラダオイルを三四滴入れる。こうするとお湯の沸騰点が上がって、より高い温度で茹でることが出来る。そのボイルしたレタスに、醤油、ゴマ油、お酢、そして家にあれば紹興酒を少々入れたものをかけて食べる。醤油とごま油などの配合は、個人の好み。これが結構いける。そしてヘルシーだし、酒のつまみにもなるので、一度おためしあれ。

 しかし、考えて見れば、酒を飲むときには、五千円ぐらいパッと支払うのに、レタスの五百円で、ためらっている。セコイと言われても仕方がない。酒を飲むときの金は惜しまないのに、もしスーパーに、五千円のマグロや、牛肉があっても、ヒェーっと驚き、誰がこんな高いものを買うのかと、羨ましく思いつつ、まず買わないだろう。悲しい貧乏人の性かもしれない。

 夜は、ダウンロードした、懐かしいアートブレーキーの「危険な関係のブルース」を聞きながら軽く飲んで寝た。


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十六夜。

2011-09-15 13:17:20 | インポート

九月十三日(火)晴れ。

 今日は、十六夜(いざよい)である。昨夜は私の家からも中秋の満月がきれいに見えた。娯楽の少なかった昔は、そういった日の行事を大切にしていたのだろう。そして、照明の普及していない時代では、月明かりでも十分に周りのものを判断できたのに違いあるまい。

 有名な李白の「静夜思」という詩に、「牀前看月光(牀前、月光を看る)疑是地上霜(疑ふらくは是れ地上の霜かと)」という一節がある。

 寝台の前に差し込んだ月光をじっと見る。もしかしたら、これは地上におりた霜なのかと。(松浦友久訳・岩波文庫「李白詩選」)。その昔、中国の人たちは霜は天から降りてくるものと信じていた。例えば、日本人ならほとんどの人が、そらんじている、張継の 楓橋夜泊には、「月落ち烏啼ないて霜天に満つ」とある。天に満ちた霜が、地上に降りてくるものと思って、こう詠んだのである。

 今では、月明かりが、家の中に差し込む、などと言うことはなくなった。節電と言っても、まだ日本の夜は明るすぎると思う。だから、想像力が欠落し、風流を味わうということが、出来なくなっているのかもしれない。

 霜つながりでもう一つ。三島由紀夫の辞世に、「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに、幾年耐えて今日の初霜」がある。「初霜」とは、冬の初めの寒い朝に、最初に出来る霜のことを言う。陽が出ると消えてしまう初霜。しかし、その初霜がおりなければ本格的な冬の訪れがない。先駆けとして散って行くわが身を、初霜に譬えたのである。 

 そうか十六夜とは何にも関係ないか。十六夜は、「ためらう」「躊躇する」という意味の動詞の連用形が名詞化した言葉である。陰暦十六日の月の出は、十五日の満月に比べてやや遅いことから、月がためらっていると見立てたものである。

 その十六夜の月を見るため、ではなく、恒例の「蜷川会」を関内の、HIROというお店で行なった。一時間半ほどの楽しい語らい。その後、友人と一軒転戦して帰宅。


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今日は中秋か・・・。

2011-09-12 23:11:51 | インポート

九月十二日(月)晴れ。

 起きたのは九時半。月曜日なのに子供達が家にいる。ん?と思ったら、土曜日に授業参観があって学校に行ったために今日が代休となったらしい。

 昨夜飲みすぎたためか、少々胃が痛い。最近は、チョット飲むと胃の調子が悪い。今月の下旬には、胃カメラの検査に行こうと思っている。

 午後から、事務所で資料の整理、と言えば聞こえが良いが、雑然とした机の上や、機関誌の作製のために持って行ったままになっている写真などの片づけをした。これが中々手ごわくて何時までたっても片付かない。三時に諦めて、子供を連れて歯医者に行く。

 夜は、社友で新潟在住の山田喜一さんから、送って頂いたジンギスカンの味噌漬けを皆で食べたが、まったくクセがなく、とても美味しかった。しかし、調子が悪く、ビール一本だけで止めた。

 今日は、中秋とやら。本来は、観月の宴でも行なうのだろうが、連日の酒は控えなければならない。明日も、恒例の蜷川会がある。

 中国は北宋時代の詩人、蘇軾に私の好きな「中秋の月」という詩がある。

中秋の月
暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢 声無く 玉盤を転ず
此の生 此の夜 長くは好からず
明月 明年 何れ(いずれ)の処にて看ん

(訳)
日暮れ時、雲はすっかり無くなり、心地よい涼風が吹いている。
銀河には音も無く玉の盆のような月があらわれた。こんな楽しい人生、楽しい夜、しかし永遠に続くものでは無い。
来月は、来年は、どこでこの中秋の月を見ているだろう。

 人生の無常観を感じずにはいられない。


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山の神を同伴しての飲み会。

2011-09-12 12:18:19 | インポート

九月十一日(日)晴れ。

 いやー夏が戻って来たようjな暑い日が続いている。それでも朝晩はいくらか涼しいのでしのぎやすくなった。

 午後から事務所へ郵便やメールの確認に行く。その帰りに、パソコンを購入した際に契約した通信が二年過ぎたので解約に行った。しかし、今月一杯で満期、とのことで来月にもう一度来なければならなくなった。メンドクサイ。

 夜は、かねてから約束をしていた楽しい飲み会がある。参加は、後輩だが古い友人のY氏夫妻と、彼の後輩のH氏夫妻と私と愚妻の六人。場所は「やまと」の小部屋。男同士で飲む機会は度々あるが、それぞれの奥方を同伴しての飲み会は初めてのこと。H氏夫妻は新婚さんであり、奥さんは小泉今日子似の美人。お会いするのは初めてである。

 一番盛り上がったのはY氏の奥さんと我が愚妻。まるで同窓会のように盛り上がっていた。「伊佐美」が一本空いてしまい、そろそろ次の店へ移ろうかと思っていると、偶然にもカメ&アコちやんご夫妻が来店。再び盛り上がった。

 明日、朝の早いカメ&アコご夫妻と別れて、山下町のラッキーの店に転戦。その店に、サリーの実兄のシユウちゃんと、そのお友達たちがいてご挨拶。その後、Y氏、H氏の先輩のT氏も来訪してまるで身内の会のようになった。そのうちに訳が分からなくなって解散した。

 すっかりY氏にお世話になり、勝手に大破・轟沈してしまった。


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日本人の魂を揺さぶる映画を見た。

2011-09-11 12:09:25 | インポート

九月十日(土)晴れ。

 目を覚ませば十時過ぎ。慌てて起きて、遅い朝食の後に、ペンキを塗ってきれいになった納戸の片づけをした。残暑が厳しく大汗をかいた。

 最近、茗荷がおいしくて仕方がない。以前は、自分で買ってきて食べたことはなかったが、愚妻の実家に帰ってから、義母が畑から取ってきて、キュウリと一緒に塩漬けにしたり、味噌をぬって田楽にした物や、ソーメンなどの薬味にして食べているうちに好きになった。

 今では、長ネギと一緒に常備している。一番好きな食べ方は、茗荷の甘酢漬け。すし屋の「ガリ」の甘酢に着けたものを、箸やすめにして食べている。大好きなカツオにも今では茗荷は欠かせない。季節感を感じる数少ないものだ。俗に「茗荷を食べると物忘れが酷くなる」と言われているが、これは根拠のない話。その根拠となった逸話とは。

 「茗荷」という名前の漢字をよく見てください。この名前については次のような逸話があります。 釈迦の弟子の周梨槃特(スリバンドク)は熱心に修行をする人の好い人物でしたが、 物忘れがひどく自分の名前すらすぐに忘れてしまったそうです。そこで釈迦が首から名札を下げさせました。 彼の死後、墓から見慣れぬ草が生えてきました。生前自分の名を下げていた(荷物のように) ことにちなんで村人がこの草を「茗荷」と名づけた。という説があります。 この話から、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという俗説が生まれました。

 ということが、パソコンにありました。

 終日、遅れている機関誌の原稿書き。夜八時には終えて、レンタルしたDVDで「太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男」と親を殺された少女が保安官達と犯人を追い詰めて行くという「トゥルー・グリツト」の二作品を見た。どれもいい映画だったが、「太平洋の奇跡」には感激した。特に、最後の大場大尉が部下とともに下山し、投降する場面では不覚にも落涙してしまった。サイパンにはこれまで幾度となく行っているが、その度にバンザイクリフなどにある忠魂碑や慰霊碑に手を合わせてきた。腐れきった、ダレた今の政治家に見せたいものだ。

Photo ※日本人の魂を揺さぶる作品である。先人の労苦を偲び、感謝の誠を捧げよう。


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