白雲去来

蜷川正大の日々是口実

青森着。

2015-08-14 08:29:15 | 日記
八月十三日(木)雨。

ホテルで目覚めて外を見ると、仙台の街が雨に煙っていた。八時に朝食。安ホテルの割には、まあまあか。九時に子供の友人が会いに来て一緒にお茶。十時に青森に向かう。

高速に乗って五分も走ると渋滞に巻き込まれた。それでもこの時期にしては短いほうか。盛岡を過ぎたあたりで昼食。天ぷらそばを食したが、どうして高速道路のSAの料理はまずいのか。何とかならないものなのか・・・。

途中、五所川原の魚屋に寄って今夜の肴を調達。さらに一時間以上走って、「イカ焼き村」の「わさお」を横目に見て、「千畳敷海岸」の「かぶと岩」に挨拶して、ようやく五時半に実家着。自宅を出てから走行距離は八百五十キロを超えていた。愚妻のお母さんや兄弟が集まってのにぎやかな食卓。酔えば津軽弁が飛び交い、私と子供たちは、?マークばかり。酔ってソファーで寝てしまった。

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帰省の途中に仙台へ。

2015-08-14 07:54:43 | 日記
八月十二日(水)晴れ。

帰省で高速道路が渋滞することを考えて、まだ暗いうちに家を出た。何とか首都高速を抜けて東北道へ。途中何か所かの短い渋滞に巻き込まれたが四百キロ走って、昼過ぎに仙台着。愚妻の里である青森は、ちょうど仙台が真ん中。十年前ぐらいには、一気に運転したものだが、還暦を過ぎた今では、さすがに八百五十キロを運転する気力も体力もない。上の子供の高校の同級生が仙台の大学に入ったので、会いに行くついでに仙台へ寄った。

ホテルのチェックインには早いので、そのまま青葉城へ。城跡には護国神社があったので参拝。家族で「憲法改正」の署名をした。戦艦大和や空母などの精巧な模型が展示してあり圧巻だった。その後、伊達政宗公の銅像の前で記念撮影。すぐ脇には土井晩翠の記念碑が。「荒城の月」の作詞者として紹介されていたが、土井晩翠といえば、「三国志」の諸葛孔明のことを書いた「星落秋風五丈原」がいい。仙台城址に「荒城の月」も分からないではないが、ちょっと残念に思った次第。

ホテルは、繁華街の国分町のすぐそばにあった。夕食は「牛タン」で有名な「利休」へ。「牛タン」だけではなく「刺身」など色々な料理があり楽しめた。お店の人の紹介で、近くにある寿司屋に転戦。疲れていたので九時過ぎにホテルに戻り就寝。

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そろり、いやピロリ、ピロリと・・・。

2015-08-11 22:39:49 | 日記
八月十一日(火)晴れ。

朝一番で病院。何たって名医?の誉れ高い病院なので九時の診察に行くのには四十分前に行っても、じじ・ババが十人ぐらい待っている。今日はピロリ菌の検査。一回目は失敗したので、二回目の検査だ。勘弁してくれよー。と言う感じだが、私の世代は、井戸水を飲んでいたこともあってピロリ菌の保有者が多いらしい。八時半に行って、帰宅したのは十時過ぎ。

今日は、上の子供のリクエストで伊勢佐木町の入り口にある「モハン」というインドカレーのお店で家族で昼食をとることになった。私は、ここのカレーとナンのファンだ。珍しく、私たちが「月光仮面」の「どくろ仮面」シリーズに出てくる謎のインド人「アダラカーン」と勝手に呼んでいるのっぽのお兄さんが店に出ていた。私と下の子供は「キーマカレー」愚妻は「シーフード」、上の子供は「野菜カレー」。それぞれ焼きたての「ナン」を添えた。

食後は、伊勢佐木町の有隣堂にて書籍浴。山本一力の『ジョンマン・立志編』を購入。その後は事務所に寄り帰宅。

ニュースでは、鹿児島の川内原発が稼働したとか。原発の前で騒いでいる市民団体とか言う左翼の連中の抗議行動を見ていると、原発、上等じゃねぇの。バンバン行きましょう。と、鳥肌実センセイのようにもなるが、まあ本音は、原発以外の道を選択する勇気と覚悟を持った方がいいと個人的には思う。テレビだって二十四時間も放送している局が多すぎないかい。BSや各地の民放を合わせたらどれだけのテレビ局が、延々放送をしているのか。これって本当に必要なのかねェ―。くだらんねェ―。パチンコ屋だって月に二回ぐらいの定休日を条例化したり、無駄な電気を使わないようにすれば、何とかなるような気がするのですが。

そうだ「九条」信奉者のアホバカさんたちにお願いしよう。憲法の九条に「地震は来るな」、「台風は来るな」、「噴火はするな」と書いて貰おう。きっとそう言う災害は来ないかもしれないから。だってそうでしょう。「九条」があるから「日本は戦争をしなかった」と言うのだから、地震も台風も噴火もきっと来ないかもしれない。お願いしますょー。

昼間、雑用に追われて「肴」の仕入れに行けず、ありあわせの物で酔狂亭で月と影とを相手に月下独酌。

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定宿の『やまと』へ。

2015-08-11 17:36:12 | 日記
八月十日(月)晴れ。

暦の上では立秋を過ぎたが、連日の酷暑。何だか手紙の書き出しのようになってしまった。朝食は、昨日の残りのマグロのブツを竜田揚げにした。醤油、みりん、酒を一対一の黄金比にしてマグロを漬ける。そこに粉のワサビを入れて二十分ほど置く。キッチンぺーパーで水けを取ってから小麦粉をまぶして揚げる。これが美味いんだなぁー。

午後から事務所にて細々とした用事を済ませてから、夏休みで家にいる子供たちを連れて戸塚のダイエーで買い物。上海では、中国人が地下鉄の駅の構内で涼んでいると言うニュースを見たことがあるが、その気持ちが分かるなぁー。ダイエーのフードコートでお茶をしていると、涼しいし、昼寝でもしたくなる。

夜は、二人の友人と待ち合わせて「やまと」へ。お二人は「やまと」が初めて。懐かしい故板垣哲雄君の思い出話などを肴に二時間ほど。自宅に戻ったのが八時過ぎ。家族が怪訝な顔で「早いじゃん」。

そう言えば、作家の阿川弘之氏が三日に亡くなられたと報道で知った。阿川氏の海軍提督三部作「山本五十六」「米内光政」「井上成美」などは随分前に読んだ。特に『雲の墓標』は、網走時代に読んで感動した一冊だった。その他『故園黄葉』や『葭の髄から』といったエッセイも好きで、書棚にある。久しぶりに『雲の墓標』でも再読してみようと思っている。合掌。

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また鎮魂の日か。

2015-08-11 17:19:35 | 日記
八月九日(日)晴れ。

正気塾の故若島征四郎先生の主催で長崎の地で民族派による集会が行われたのは、何時だったか。確か、國學院大學の大原康男先生と同行したのを覚えている。長崎、鎮魂の日である。

正午から、物置や自宅の壁にいつの間にか貼りついたツタの除去。これが中々大変で大汗をかいた。ゴミの袋に五つもあった。ヘロヘロになったが、楽しみは夜の晩酌。松原商店街へ行き、マグロを買い求め、風呂にゆっくり入ってから酔狂亭で月下独酌。

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