白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『燃えよ祖国』の223号の評判が良い。

2016-07-24 07:44:56 | 日記
七月二十三日(土)晴れ。

「文春砲」がまたさく裂。東京都知事に立候補している鳥越の下半身スキャンダル。自分の口で何一つ釈明をせずに、弁護士に一任した。舛添が、「第三者」あるいは「弁護士に厳しく調査」と言ったのと同じではないか。他人には厳しく、自分には甘いんじゃありませんか鳥越さん。

自画自賛をして申し訳ないが、弊誌『燃えよ祖国』の二二三号の「オバマ大統領の広島訪問をどう思うか」という特集がとても評判が良い。岐阜の花房東洋先輩からも「いい企画でしたね。自由闊達に意見を出し合える場、これからも時宣に応じ企画して下さい」。というメールを頂いた。「余分に下さい」、「送って下さい」というメールや電話があって、珍しく増刷に汗を書いた。そう言えば、東大に留学していて、二、三年前にアメリカに帰国した、ベジタリアンで、皆からはCIAじゃないの。とからかわれていた日本文化研究家のスミスさんからメールが入って、「読みたいので送って下さい」。(彼は日本語の読み書きができる)郵送は面倒なので、PDFにしてメールした。

NHKの朝の連ドラ「とと姉ちゃん」も、新しい雑誌作りに入った。雑誌作りは、編集者の個性が出る。単に政治家や学者の論文や意見を乗せるだけの雑誌なら、似たような物はいくらでもある。私は、野村先生のことを多くの人に知って貰いたいと言うことと、民族派運動の現在。と言うことにテーマを絞って雑誌を作っている。これからも鋭意、努力を重ねたいと思っている。

アメリカの共和党大会で、トランプが正式に大統領候補になった。当初は泡沫扱いだった彼が、ここまで登りつめることを、一体誰が想像しただろうか。個人的には、トランプに頑張って貰いたい。彼は、日本にとって「太平の眠りを覚ます黒船」の存在だと思う。国防と言う大切なことを、かつての敵国に委ね、占領基本法とも言うべき、現在の日本国憲法を「平和憲法」という戦後のまやかし。お金を借りて、元本を返さずに、安い金利だけ払って、贅沢三昧をしていた者が、貸して貰っていた人の資金繰りが厳しくなって、元本の一括返済を迫られている。今更オロオロしても仕方あるめぇ。ちなみに彼の主張していることは、ほとんど正しいと私は思っている。もちろんアメリカにとってだ。

良い天気だ。家族に檄を飛ばして、朝から掃除に洗濯に汗を書いた。午後からは、とりあえず仕事。夕方に晩酌の買い物。安くて美味しそうな「牛タン」が売っていたので、ネギ塩牛タンの夕食。

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諸行は無常か・・・。

2016-07-24 07:13:39 | 日記
七月二十二日(金)晴れ。

盟友だった、初代の国防青年隊の渡邊康司氏が亡くなってから、早いものでもう二十年が過ぎた。彼は、小田原の海沿い、西湘バイパスのすぐ近くにあるお寺の墓地に眠っている。熱海などに行く折、西湘バイパスでその近くを通ると、光る海の彼方に彼の顔が浮かんでくる。

彼と初めて会ったのは、昭和五十年頃か。民族派の学生青年が中心になって行った核拡散防止条約の反対運動の折に、団体を結成したばかりの彼が街宣車でやってきた。その運動に誘ったのは長谷川光良氏である。すぐに意気投合して、以来様々な運動を共にした。若気の至りで「桃園の誓い」を気取ったのもその頃だ。

その彼が、四十五歳と言う若さで突然亡くなった。それまで自分が病気で死ぬことなんて、つゆぞ考えたこともなくかった。今の自分には関係のないことで、まだずっーと先のことと、勝手に思っていた。当たり前のことだが、明日死んでもおかしくない。と言うことを気付かされたのは、渡邉氏の死に直面してからだ。しかし、野村先生の自決に直面して以来、人が死ぬと言うことに、余り驚かなくなった。馬齢を重ねることによって、死と言うものが、ある意味では「日常」のことと悟ったのかもしれない。

岐阜の花房東洋先輩から教わったのが「名刺供養」だ。先輩は、恩師の三上卓先生の名刺を一番上に置き、過去に名刺交換をした方が亡くなられると、三上先生の名刺の下に重ねて供養する。私も真似て、野村先生の名刺の下に亡くなられた方の名刺を入れてあるが、その名刺ケースも二箱にもなってしまった。

今も、盟友が病魔と闘っている。電話をしようとも思うのだが、安易な慰めなどかえって失礼と思い・・・。いや彼の辛そうな声を聞くのが怖くて避けているのかもしれない。生者必滅、会者定離、諸行は無常か・・・。

柄にもなく、そんなことを考えた一日だった。

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ミズリー号の秘話。

2016-07-22 11:33:11 | 日記
七月二十一日(木)雨のち曇り。

九州四国地方では、梅雨明け宣言が出たというのに東京横浜は朝からぐずついた天気が続いている。今日で三日連続の東京行である。 今日は六時から新宿で、阿形充規先生が主催する勉強会があり出席した。今日の講師は外交評論家として名高い加瀬英明先生である。講演のテーマは「昭和二十年八月十五日」。いわゆる敗戦の時のエピソードである。

加瀬先生のご尊父は.終戦の年の九月にアメリカ海軍のミズーリ号で行われた、降伏調印式に随行した外務省の加瀬俊一先生である。その時のエピソードを話された。ミズーリ号の艦橋付近に小さな日の丸が九つ描かれていたそうだ。何かと思えばミズーリ号が撃墜した特攻機の数であるという。それを知った時、加瀬先生は涙をこらえるのに必死だったと、後日、ご子息の英明先生に語った。

以下は加瀬先生の講演を抜粋したものである。

みなさんもミズーリ艦上の、あの今見ても屈辱的な降伏調印式の写真や映像を御覧になった方が多いだろうと思います。重光全権、それから私の父と二人の外務省の随員がいます。外務省員は、モーニングにシルクハットをかぶっています。最高の礼装です。ただ、たったひとり、大田三郎という随員が、戦災ですべてを焼け出されてしまったもので、モーニングが間に合わずに、仕方なく真っ白な背広の上下を着ています。私の父も戦災で家を焼かれていたのですが、モーニングは残りましたものの、シルクハットを焼かれてしまったので、人から借りたのですが、ブカブカで、艦上で風が強く飛びそうになって、しばしば片手で押さえています。

一方、わが国の陸海軍軍人は、略装の軍服です。軍人が正式の服装をするときには、いまの警察官のような、固いツバがついた帽子をかぶります。ところが当日の軍人たちは、戦闘帽です。海軍にいたっては、カーキ色の戦闘服です。どうして外務省の一行が正装のモーニングを着ているのに、軍人は略装だったのでしょうか。みなさんの中で答えられる方はおいででしようか。いままでこの写真や映像を見て、不思議に思われた方は、おいででしようか。おいでにならないのかもしれません。

どうしてかというと、重光全権ら外務省の一行は、畏れ多いことですが、天皇陛下を代表する立場でした。外務省の一行は敵に対してではなく、陛下に対して敬意を表して礼服を着たのでした。けれど軍人は、軍を代表していました。仇敵に敬意を払いたくなかったので、略服を着ていたわけです。

非常に感動し、充実した一時間であった。終了後は食事をご馳走になり様々な資料を阿形先生から頂き帰宅した。いつも思うのだが、阿形先生の民族派運動に対する姿勢にはとても尊敬の念を禁じえない。貴重なDVDも七枚もいただいた。いただく方は簡単なものだと思いがちだが、このDVDを何十枚もコピーする作業というものはとても大変なものだ。後輩のためにそういった努力を惜しまない運動の姿勢は驚嘆に値するといつも思う。

十時少し前に帰宅。この時間まで珍しく一杯も飲んでいないので、買っておいたカツオや頂き物のかまぼこを肴に寝酒。充実した一日だった。

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仲裁裁定所は、諸刃の剣。

2016-07-22 10:58:23 | 日記
七月二十日(水)晴れ。

午前中に知り合いのマスコミ関係者から、今週発売になる「週刊文春」にて東京都知事選挙に立候補している鳥越俊一郎の女性スキャンダルが報道されるということを聞いた。この時期に「週刊文春」が、真偽のほどは別として都知事戦の最中に有力候補者のスキャンダルを報じるという事は、それなりの覚悟と、実証に基づいたものであるに違いあるまい。聞くところによれば「文春」の取材スタッフは、かなり優秀な人達が揃ってるという。

編集長の新谷さんとは取材を通じてずいぶん前からお付き合いがあるが、苦労人だし人脈も幅広い。まして昨今のセンテンス・スプリングスは、「文春砲」と異名をとるほど政財界やマスコミ陣に恐れられている。くどいようだが、ともすれば選挙妨害になるようなこの時期に、鳥越のスキャンダルを公表するのだから、よほどの自信がなければ記事にはしないと思う。それを読んだ時の鳥越の顔が見てみたいものだ。

午後から東京行。私が役員の末席を汚している大行社の役員会議に出席。僭越ながら皆さんの前でご挨拶をさせていただいた。先日、中国が主張る南シナ海における、いわゆる九段線が、まったく根拠のないものという裁定がオランダのハーグ仲裁裁定所から出た。もちろん中国は否定しているが、日本を始めとする国際世論は中国が裁判の結果を受け入れなければ先進国とは言えないという論評している。しかしこの仲裁裁定所による裁定は、わが国とっては諸刃の剣と成りうるものである。もし、韓国が竹島の領有権を訴え出たらどうなるだろう。 百%日本が勝つという保証は無い。考えたくはないが、反日的な裁判官が選ばれたらどうなるであろう。日本の竹島における領有が根拠のないものと判断されたら、果たして日本はその裁定を受け入れるだろうか。

沖の鳥島にしてもそうだ。中国や韓国台湾が、あれは島ではなく岩ではないか、と訴え出たならどうなるだろうか。これも日本の主張が百%通ると言う保証は全くない。古い話で恐縮だが、満州事変におけるリットン調査団のことが脳裏をよぎった。ともすれば、裁判というものは、きわめて政治的でもあり、政治に左右される場合が多いからである。

終了後、昨日同様六本木に転戦。 二時間ほど同志の方々と共に飲み、申し訳ないことに横浜まで送っていただき帰宅。

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日本橋の「誠」へ。

2016-07-22 10:27:19 | 日記
七月十九日(火)晴れ。

朝食は典型的な昭和飯。昨夜子供たちが茹でておいたスパゲッティーを玉ねぎとウインナーとで一緒に炒めてケチャップで味付け、それに目玉焼き、マルシンのハンバーグ、キャベツの千切り添。私にとって昔風のスパゲティーナポリタンは一品料理ではなくいつも料理の添えものである。たまに下町のレストランなどに行くと、頼んだ料理の付け合わせにケチャップで炒めたマカロニやスパゲッティーが添えられていると何故か頬が緩む。もちろん目玉焼きやキャベツの千切りにはソースをかける。これが私風の昭和飯。

今日は五時半よりお世話になっている方に招かれて、日本橋にあるのステーキの名店として名高い「誠」での夕食。最近は不如意続きなので鉄板焼きなど、とんとご無沙汰である。ご招待されていてお金のことを言うのは少々はしたないが「誠」は、私のような浪人風情の行けるような店では無い。店のオーナーに聞けば政財界の方々から、スポーツ選手や芸能人、昔は白洲次郎さんまで来ていたらしい。そういえば随分前に連れて来ていただいた時に、旧ご皇族の方とご一緒になったことがあった。またここのオーナーは「塩の魔術師」としても有名である。フライパンをあおる若い衆のところにお客様と話をしながらパーッと塩を放り投げる。まさに名人芸である。

今日は総勢五名でカウンターに陣取った。泡モノから始まって、焼酎、赤ワイン。ヒレ肉やロース肉、牛タンなど最高の肉を味わった。ジジムサいかもしれないが。この歳になれば、命の洗濯という言葉がで当てはまる。その後揃って六本木に転戦。横浜で小中学校の同級生が個人タクシーをしていることを思い出して、格安料金で迎えに来て頂き、思い出話に花を咲かせながら宅に戻った。良い一日、いや特別な一日だった。

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