白雲去来

蜷川正大の日々是口実

恐る恐る肛門科へ。

2016-09-08 15:03:33 | 日記
九月六日(火)晴れ。

尾籠(尾籠・びろう=汚い)な話で恐縮だが、三日ぐらい前に、お尻の、それも肛門のすぐ近くに、吹き出物が出来た。それが大きくなって痛くて仕方がない。椅子に座るのも、その部分が当たらないように、ソローリ、ソローリとやるのだが、ちょっと座り方が悪いと、ズキンとくる。あんまり痛いので、意を決して病院に行くことにした。しかし、どの病院が良いのか、迷ってしまった。皮膚科、外科、それとも肛門科・・・。痔ではないので肛門科は止めようと思ったのだが、それでも皮膚科や外科で、真昼間からジジイのケツを見せるのも気が引けるので、岐阜の先生にアドバイスを貰って、結局肛門科へ行った。

横浜でも有名な肛門科とは聞いていたが、何とお客、いや患者の多いこと。診察を待つ老若男女が五十人以上もいる。その中に、ハッとするような美人がいた。彼女も痔の治療に来ているのだろうか。その妙齢の美人が、痔が痛くて、顔をしかめるのも中々色っぽいだろうな。などと良からぬことを考えていたら、ふと頭に浮かんだのが、「西施の顰(ひそみ)みに倣(なら)う」の故事。中国の三大美女と言われた西施が、胸を病み、胸をかかえて顔をしかめるのを見た醜女が、自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ、人が気味悪がったというもの。すなわちむやみに人の真似をして物笑いとなることなのだが、そんな故事が分かるような気がした。

順番が来て、症状を話すと。「中まで炎症しているかどうか調べます」。やはり美人の医者が、にこりともせず、横になってお尻をあらわにした私の肛門に、いきなりズブっと指を入れてかき回す。痛いのなんのって、思わず、ギャーっと声を出しそうになった。きっと少しSっ気があるんだと思う。薄笑いを浮かべて(すみません。そう言う感じがしました)「とりあえず何ともありませんが、少し切れ痔のようですので薬を出します」。触っただけで分かるのかいな。終わってもヒリヒリする。次の検査に行くのだが、痛くて椅子に座っていられない。

次は、お尻のエコー検査。診察台には、恐らくお尻に入れるであろう「魚ニソ」ぐらいの太さの検査機が置いてあった。また女医さんだ。日本男児が、うら若き大和撫子の前に、ケツを出して、その機械を入れられるのかと思うだけで、恥ずかしさと絶望感で失神しそうになった。やっぱり外科か皮膚科に行けば良かったと思ったが、後の祭り。何の前触れもなく、敵はいきなり侵入してきた。心の準備も出来ていないのに、いきなり、ズブッとである。先ほどの検査で味わった痛さの三倍くらいの刺激がお尻に与えられ、叫びそうになった。おまけに、その機械が吹き出物を圧迫するらしく痛さが倍増する。ふー、はぁー、ひー、うー。を五回ぐらい繰り返して検査は終わった。結果は、「何ともありません」。痔の治療に来てんじゃないんだから、何ともある訳がない。

この続きは明日。医者から酒を止められたので、「糖質ゼロ」の缶ビール一本飲んで、うつぶせで寝た。

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荒れもせで二百二十日のお百姓

2016-09-08 12:31:25 | 日記
九月五日(月)晴れ。

最近は余り耳にしなくなったが、「二百十日」という言葉がある。漱石の小説ではない。季語で、歳時記には、「立春から数えて二百十日目の日。太陽暦の九月一日ごろにあたる。古来、台風襲来の時期で稲の開花期にあたり、農家の厄日として注意を促すため暦に記載される」とある。今年は、季語の通りに台風が日本列島を直撃するものが多く、各地で被害が広がっている。

子供の頃は、「台風一過」という言葉を聞くと、大暴れした雷様の親子が、風を入れた袋も空になり、雨を降らした雷太鼓も打ち尽くして、「一家」でどこかへ去って行く。と本当に思っていた。まだ気圧を計る言葉がミリバールと言われていた頃のことだ。安アパートで、トタン屋根に打ち付ける雨の音を聞きながら、母が、台風だから買い物に行けないからと、缶詰を開けてくれるのが楽しみだった。今では考えられないだろうが、私が子供の頃、昭和三十年代には、缶詰がご馳走だったのだ。

内海や二百十日の釣小舟 正岡子規
荒れもせで二百二十日のお百姓 高浜虚子

夜は、ポークソテー。私は、やや厚めの豚肉を、「肉叩き」で叩いてから、塩胡椒してソテーする。仕上げは醤油のみ。付け合せは、缶詰のマッシュルームのスライスを最後に一緒に炒めて添える。これが酒のつまみにもなって美味しい。そう言えば、その昔、レストランに「ポークソテー・ハワイアン風」と言うものがあった。何がハワイアン風なのかと言えば、ポークソテーの上に缶詰のパイナップルが載っているだけ。それでも得意になって食べていた。

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大村益次郎暗殺される。

2016-09-05 18:30:31 | 日記
九月四日(日)晴れ。

暦の上では秋ですが、厳しい残暑の日が続いています。という手紙の書き出しのような天気が続いている。日曜日に、事務所に行って、膨大な量のある野村先生の写真のポジフィルムをパソコンに入力する作業を行った。事務所のパソコンが壊れてしまって、自宅から旧式のモバイルをいちいち持って行かねばならないのが、煩わしいことこの上もない。まず、先生の冬の小樽での写真を五十枚ほど入力。手間のかかる仕事である。

靖国神社の参道にあるのが、大村益次郎の銅像である。彼は、明治二年(一八六九年)の今日、京都木屋町で元長州奇兵隊・越後の草莽隊・秋田の士族らによって襲われて重傷を負った。当時大村は農民を徴兵して軍隊を建設する政策をすすめており、これが士族の誇りを汚すものとして、士族らの憤激をかっていた。大村は、この傷によって同年の十一月五日に死亡した。靖国神社に彼の銅像が建立されたのは、明治二十六年六月のことである。

民族派が行動を起こすと、マスコミは暴力反対などと言うが、幕末から明治の時代までに、夥しい血が「天誅」の名の下に流された。今日の平和と繁栄は、言いかえるのならば、その天誅と言う暴力の下に築かれたと言っても過言ではない。国家とは、ある意味では暴力の投影した姿でもある。

夜は、久しぶりに「おでん」を作って、酔狂亭で名月と、黒霧島を相手に独酌。

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群青忌の実行委員会。

2016-09-05 17:40:01 | 日記
九月三日(土)晴れ。

今日三日は、父の命日である。学校の行事で出かけて行った下の子供以外、家族で伊勢原に向かった。今日も残暑が厳しい。お墓に行く途中に「寿雀卵」という卵を撃っている売店に寄る。形の良い物は、売店が開店と同時に売り切れてしまう。仕方がないので、MSサイズの物を三バック買った。一パック、二八〇円。確かに色も黄身もしっかりしていて美味しいので、お墓参りに行く際には必ず買うようにしている。

お寺に到着。まず野村先生のお墓を簡単に掃除して、花を手向ける。その後、両親のお墓に詣でた。家族の無病息災をお願いして、手を合わせた。帰路、塾の講師のアルバイトに行く子供を送る途中に港南台と言う場所にある「三幸苑」という中華料理屋にて昼食。このお店は、ヨコハマの人であるならば知る人ぞ知る「タンメン」の美味しいお店で、その他、焼きそば、餃子、ワンタンなども有名である。しかし、量が多いのと、ニンニクがかなり効いているので、人と会う時は要注意。

夜は、東京で「群青忌」の実行委員会。例年通り、先生の菩提寺である、伊勢原の浄発願寺にて法要を行い、終了後に中華街にて、直会を行う。今日をもって各自、群青忌の案内を行うように要請。近々、案内状を送付する予定。終了後に、甲州屋という蕎麦屋で打ち上げ。

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断じて行えば鬼神も之を避く。

2016-09-05 10:03:45 | 日記
九月二日(金)晴れ。

午前中に、子供がお腹が痛いと言うので内科に連れて行く。そのまま私は事務所へ。宮嶋茂樹さんが撮った野村先生の写真のポジの整理。人を頼っても仕方がないので、少しずつ手を付けて行くつもり。

過日新聞広告に載っていた辻政信の『潜行三千里』を購入した。実は、戦後に出版されベストセラーになった物を随分前に古書店で購入して読んだことがあった。しかし、何せ40年以上も前のことなので、内容の記憶に乏しい。そこで新装となった同じ本を買ってみた。すると山平重樹さんから以前紹介され、一献酌み交わしたことのある、国際政治学者の福井雄三先生が「本書に寄せて」という前書きを書いているではないか。余計にこの本に対する親しみがわいてきて、現在楽しみながら読んでいる。良い本と人との出会いは良く似ている。

「戦後日本の社会で賛否両論含めて、この人ほどさまざまな評価にさらされた人物は珍しいであろう。「作戦の神様、軍事の天才、大東亜戦争の英雄」といった肯定論から、「愚劣、無責任、大ほら吹きのペテン師、おぞけをふるう巨悪」といった否定論に至るまで、彼には常に多くの毀誉褒貶がつきまとってきた。後者の否定派の先頭に立つのは言わずと知れた、司馬遼太郎・五味川純平・半藤一利といった、いわゆる「司馬史観」なるものに拠って立つ面々である。世上に流布している「司馬史観」にはさまざ まの問題点が内包されている。その中の最大のものは、ノモンハン事件という日本近現代史上の大事件に関する、歴史的解釈の誤りであろう。だが最近の歴史研究と史料公開により、従来の通説とは異なって、ノモンハン事件は日本軍の大勝利であったことが次第に明らかになりつつある。最近出した拙著『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』及び『司馬遼太郎と東京裁判』でも、この点を繰り返し強調した。」(「本書に寄せて」より抜粋)

私が所蔵している辻政信の「断じて行えば鬼神も之を避ける」の書。「鬼神」とは荒々しく恐ろしい力を持つ神霊のことで、断固たる決意をもって行動すれば、鬼神でさえその勢いに押されて、道をよけるという意味。秦の始皇帝の死後、趙高が陰謀を画策し、太子胡亥をそそのかし、公子扶蘇を殺して帝位に就くことを強要したときの言葉。『史記・李斯伝』に「断じて敢行すれば、鬼神も之を避く」とあるのに基づく。

夜は、酔狂亭で月下独酌。最近、何処へ行ってもロクなカツオに巡り会わない。連敗が続いている。嗚呼!


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