白雲去来

蜷川正大の日々是口実

食日記。

2017-01-29 08:25:51 | 日記
一月二十二日(日)晴れ。

朝食は、大好きなサバの文化干し、と大根のみそ汁に、韓国のり。私の朝食のメニューなどどうでも良い話だが、池波正太郎センセイは、十五年以上も、毎日、何を食べたか書き記していたという。例えば昨日は「昼・ナスのみそ汁、アジのひもの、冷飯。夕、さよりとウドの重ねレモン、黒鯛しおやき、鳥そぼろめし。深夜、もりそば」などと書き、この中で美味だったものに朱印をつけていたそうだ。なぜか・・・それは、家人が四季それぞれの日記をひもとけば亭主に食わせるものを案じなやむことのないようにするためだそうだ。

池波センセイではないが、江戸時代に、本当に、毎日の天気と朝昼晩、三食何を食べたかだけ、延々と書いた人の日記帳が、思わぬ高値で取引されたと、何かの本で読んだ事がある。その日記帳を欲しがったのは二人、気象学者と栄養学者だったそうだ。天気予報などのなかった時代、例えば、元禄何年の何月何日に台風が来た、と書いてあれば、当時の関東地方の天気がおおよそ見当がつく。時代劇の小説家であれば、その台風の日を資料にして、よりリアルなものが書けそうだ。

栄養学者の方は、その当時の人が、どんなものを食べていたか、参考になるし、庶民の暮らしも見えてくる。だから天気と食事だけの日記も、場合によっては、役に立つのかもしれない。最も、私の場合は、毎日こんな物を食べているのかと、馬鹿にされそうだ。

夜は、牛筋の煮物を相手に、酔狂亭で独酌。
 

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機関誌の割り付けが終った。

2017-01-29 08:25:51 | 日記
一月二十一日(土)晴れ。

わが陋屋(ろうおく=むさくるしい家)は、建物の関係か風の通り道となっており、少しの風が吹いても風音が気になって仕方がない。有難いことに、周りは建売の住宅が多いせいか、風が通る音だけしか聞こえないが、一昔前ならば、竹でや丸太で組んだ垣根などに当たって、まるで笛を吹くような音が聞こえたものだ。この音を「虎落笛(もがりぶえ)」と呼ぶことを知ったのは大人になってから。

「虎落」の「もがり」とは、竹を筋違いに組み合わせた冊のことを言う。語源は、大昔は、人が死ぬと、その屍(かばね)を一定期間据え置いたと言う。その仮の葬儀場を囲む柵のことを「もがり」と呼んだそうだ。それがなぜ「虎」の字に当てられたのかは、不明である。(私が知らないだけなのかもしれない)この虎落笛の音は、「鳴る」よりも「唸る」という形容の方がふさわしい。「風が唸る」。

機関誌の編集がようやく、佳境に入った。今回は、社友の人たちから「安部総理の真珠湾訪問を私はこう思う」というテーマで原稿をお願いした。十三名の方は、締め切りに間に合ったが、お二人の方の原稿が割り付けの後に届き、残念ながら次号の掲載となった。PCの無い頃の機関誌の「割り付け」は大変で、専門の人にお願いしたり、印刷屋さんに丸投げをしたものだ。原稿も、ほとんど手書きで、ワープロが普及しても、頂いた原稿を活字に直す作業だけでも随分と時間がかかった。それを考えると、楽にはなったが、その分編集ソフトが難しく、中々ついて行けない。来週には、発送できるように、努力しています。

夜は、酔狂亭で、独酌。休肝日を作らねばと思うのだが、意志が弱い・・・。

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風邪を土俵際でうっちゃった。

2017-01-25 11:35:09 | 日記
一月二十日(金)晴れ。

朝食を終えて、PCに向かおうとしたら、何か、ゾクっとする。体の節々が痛い。いつもの風邪の前兆である。急いで、近くの薬屋に行き、ユンケルと風邪薬を買い求め、薬を飲んでから、大事を取って布団に入った。私の風邪は、まずゾクッと来て、体の節々が痛くなることから始まる。稀に喉からくることもあるが、喉の場合は厄介で、治るまで一週間ぐらいは禁酒を余儀なくされる。

薬を飲んで、布団に入って、三時間余。ここが運命の別れ道。熱が上がっているか、それとも風邪を土俵際でうっちゃるか。恐る恐る起きてみると、辛勝だ。多少怠いが、熱はない。一昨年末、風邪に「四の字固め」でやられ、一週間寝込んでしまったことが、思い出され、体調に関しては、すこぶる臆病になっている。夜に、是非行きたい勉強会があったのだが、大事をとって欠席した。

「病膏肓に入る」(やまいこうこうにいる)という言葉がある。 本来の意味は、病気がひどくなり治療のしようがないことなのだが、「趣味や道楽に熱中しすぎて、どうにも手がつけられなくなることのたとえ」 として使われる。札幌の社友の梶浦直樹君は、何時の頃からか、釣りに凝り、雪の、それも夜釣りに出かけると、彼のブログに度々書かれている。私も、釣りは好きだが、さすがに冬は行かない。横浜の冬だって、釣行の意気を削ぐのには十分な寒さなのに、札幌の、それも冬の夜釣りである。私は、夏でも夜釣りはしない。それは、「糸ふけ」でアタリを取る、クロダイ釣り専門なので、「糸ふけ」が見えず、「向こう合わせ」となる夜釣りは面白くないからだ。稀に夜釣り出ることもあるが、場所は海ではなく、関内である。

『唐詩選唐』を読んでいたら、柳宗元と言う人の詩に「江雪」というものがあり、思わず、梶浦君を思い出した。

千山鳥飛ぶことを絶え
万渓人蹝滅す
孤愁蓑笠の翁
独釣寒江雪

多くの山々には、鳥の飛ぶ姿もない。多くの小道にも、人の足跡もなくなってしまった。ただ一そうの小舟に蓑と笠をつけた老人が、一人で雪の降りしきる川面で釣り糸を垂れている。というもの。まだ梶浦君は老人という歳でもなく、川ではなくいつも海での釣りだが、何となく彼とダブった。

考えただけでも寒くなるので、夜は「おでん」と「キムチチゲ」で暖をとった。

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平生酒を止めず。

2017-01-24 13:38:15 | 日記
一月十九日(木)晴れ。

花粉情報が出た。五年ほど前から、突然花粉症となり、これから暖かくなると、辛い日が続く。これだけ多くの人が花粉症で悩んでいるのだから、せめて杉花粉の対策ぐらいした方が良いと思うのりだが。憂鬱である。

朝食は、久しぶりに、マルシンのハンバーグ、ウインナー、目玉焼きにキャベツの千切り添え。私以外の家族は、絶対に食べない昭和のメニューである。本当は、赤ウインナーか、丸善のホモソーセージがあったなら完璧なのだが、まあ仕方がない。

昼は、我が家に常備している、名古屋は瞑明治二十三年創業の吉田麺業(株)の乾麺。ここのうどんが好きで、非常食もかねて取り寄せ常備している。「きしめん」「うどん」「細うどん」の三種類。「きしめん」用に「味噌煮込みの素」を合わせて送って貰っている。その「細うどん」を使って、温かい麺つゆに、ごぼう、鶏肉、ナルト、焼きネギを入れた、けんちん汁風にして食べた。

夜は、冷凍しておいた「清風楼」の焼売、家の近くに出来た「工場直売・好」というお店の餃子にレタスにオリーブオイルと軽く塩をふったサラダ。料理の友は、なぜかコンビニで定価に近い金額で売っていた「赤霧島」。何、酒が過ぎるですって。陶淵明の「止酒」にはこうありますよ。

平生不止酒(平生酒を止めず)
止酒情無喜(酒を止むれば心に喜び無し)
暮止不安寝(暮に止むれば安らかに寝られず)
晨止不能起(晨に止むれば起くる能はず)
日日欲止之(日日これを止めんと欲するも)
営衛止不理(営衛止まりておさまらず)
徒知止不楽(ただ知る止むるの楽しからざるを)
未知止利己 (未だ知らず止むるの己に利あるを)

訳: 何時も酒を止めない。止めては心に何の喜びもない。日暮に酒を止めたら安らかに眠れない。朝止めたら起き上がれない。毎日止めようと思うが、止めたら血液のめぐりが悪くなる。唯止めると面白くないのを知っている。未だに止めても自分に良いと思わない。

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酔って「青袍を汚す」癖。

2017-01-23 17:49:27 | 日記
一月十八日(水)晴れ。

支那は元の時代の詩人に、薩都剌(さつとら)という人がいる。名前から漢民族ではなく、イスラム系の人と言われている。その人の漢詩に、「雪中、江を渡り山を過ぎ、暘谷(ようこく)の簡上人の房に飲む」といものがある。「山房」とは、山の中にある家、山荘を指す。「簡上人」とは、海雲大宗師簡公と呼ばれた人物。一海知義先生の受け売りである。

山酒 香を吹いて小槽より出ず
燈前に痛飲して青袍を汚す
夜深けて夢醒め 何処なるかを知らんや
老鶴一声 山月は高し

まあ読んで大意をお察しください。私は、新しい背広やシャツ、ネクタイをして出かけると、必ず、酒席で、料理の汁や酒をこぼして汚してしまうと言う悪いジンクスがある。ネクタイなどは、気をつけてシャツの中に入れるようにしているのだが、帰宅して見ると、小さなシミが付いていて、ガピーンである。すると、前述の詩の一節。「燈前に痛飲して青袍を汚す」が頭に浮かぶのである。「痛飲」とは、大いに酒を飲むこと。「夜を徹して痛飲する」。と言うように用いる。余談だが、道の兄と慕った、元楯の会の故阿部勉さんの「日記」には、良くこの「痛飲」の二文字が出てきた。「痛飲」という字を見ると、ゴールデン街で飲んでいる阿部さんを思い出す。

「青袍」(せいほう)とは、当時の官僚の着る服のこと。最近は、痛飲して「夜深けて夢醒め 何処なるかを知らんや」ということはなくなったが、「青袍を汚す」ことが治らない。だから普段着やジャージ姿で飲んでいる時が、一番落ち着く。そんな訳で、今日も作務衣に着替えて酔狂亭で月下独酌。

      



      

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