一月二十二日(日)晴れ。
朝食は、大好きなサバの文化干し、と大根のみそ汁に、韓国のり。私の朝食のメニューなどどうでも良い話だが、池波正太郎センセイは、十五年以上も、毎日、何を食べたか書き記していたという。例えば昨日は「昼・ナスのみそ汁、アジのひもの、冷飯。夕、さよりとウドの重ねレモン、黒鯛しおやき、鳥そぼろめし。深夜、もりそば」などと書き、この中で美味だったものに朱印をつけていたそうだ。なぜか・・・それは、家人が四季それぞれの日記をひもとけば亭主に食わせるものを案じなやむことのないようにするためだそうだ。
池波センセイではないが、江戸時代に、本当に、毎日の天気と朝昼晩、三食何を食べたかだけ、延々と書いた人の日記帳が、思わぬ高値で取引されたと、何かの本で読んだ事がある。その日記帳を欲しがったのは二人、気象学者と栄養学者だったそうだ。天気予報などのなかった時代、例えば、元禄何年の何月何日に台風が来た、と書いてあれば、当時の関東地方の天気がおおよそ見当がつく。時代劇の小説家であれば、その台風の日を資料にして、よりリアルなものが書けそうだ。
栄養学者の方は、その当時の人が、どんなものを食べていたか、参考になるし、庶民の暮らしも見えてくる。だから天気と食事だけの日記も、場合によっては、役に立つのかもしれない。最も、私の場合は、毎日こんな物を食べているのかと、馬鹿にされそうだ。
夜は、牛筋の煮物を相手に、酔狂亭で独酌。
朝食は、大好きなサバの文化干し、と大根のみそ汁に、韓国のり。私の朝食のメニューなどどうでも良い話だが、池波正太郎センセイは、十五年以上も、毎日、何を食べたか書き記していたという。例えば昨日は「昼・ナスのみそ汁、アジのひもの、冷飯。夕、さよりとウドの重ねレモン、黒鯛しおやき、鳥そぼろめし。深夜、もりそば」などと書き、この中で美味だったものに朱印をつけていたそうだ。なぜか・・・それは、家人が四季それぞれの日記をひもとけば亭主に食わせるものを案じなやむことのないようにするためだそうだ。
池波センセイではないが、江戸時代に、本当に、毎日の天気と朝昼晩、三食何を食べたかだけ、延々と書いた人の日記帳が、思わぬ高値で取引されたと、何かの本で読んだ事がある。その日記帳を欲しがったのは二人、気象学者と栄養学者だったそうだ。天気予報などのなかった時代、例えば、元禄何年の何月何日に台風が来た、と書いてあれば、当時の関東地方の天気がおおよそ見当がつく。時代劇の小説家であれば、その台風の日を資料にして、よりリアルなものが書けそうだ。
栄養学者の方は、その当時の人が、どんなものを食べていたか、参考になるし、庶民の暮らしも見えてくる。だから天気と食事だけの日記も、場合によっては、役に立つのかもしれない。最も、私の場合は、毎日こんな物を食べているのかと、馬鹿にされそうだ。
夜は、牛筋の煮物を相手に、酔狂亭で独酌。