白雲去来

蜷川正大の日々是口実

旅愁。

2017-09-20 11:08:38 | 日記
九月十六日(土)晴れ。

良い天気ではあるが、吹く風に秋の装いを感じる。前期高齢者となってから、一日一日が大切に思える。そんな訳で、一日の食も大切である。と言いながら、朝食は、冷蔵庫にある冷ご飯を使ってチャーハンを作った。それにしじみの味噌汁。昼は、そのチャーハンのおにぎり一つ。夜は、ちょっと寒かったので、鶏肉と白滝をたっぷり使った「鍋」にした。もう一品は「タコネギ」。これは薄目に切ったタコと薄斜め切りしたネギを、ごま油、醤油、七味唐辛子で和えたものだが、酒の肴には絶品である。ただし、ごま油は、最後に入れること。

過日、展転社の荒岩宏奨さんのフェイスブックに、秋の落日の写真が掲載されていた。冬から春になるのは、気持ちが華やぐが、夏から秋に季節が移る時は、なぜか寂しく感じるものだ。私は、荒岩さんのその写真に、「旅愁」の歌が浮かぶ、とコメントを入れさせて頂いた。その「旅愁」だが、私は、これまで、ずーっと日本人による作品と思っていた。久しぶりに、その歌を聞きたくなってPCで検索してみたら、何と、アメリカ人のオードウェイと言う人の曲と知った。彼は、アメリカ民謡の父フォスターと同時期のアメリカのソングライターであるとのこと。

作詞は、犬童球渓(いんどう きゅうけい、1879年4月20日 - 1943年10月19日)は、日本の詩人、作詞家、教育者。熊本県人吉市出身。1901年、熊本師範学校を卒業し、宇土郡網田小学校に勤務する。1905年、東京音楽学校卒業。本名は「犬童信蔵(いんどう のぶぞう)」というが、球磨川の渓谷に生まれたことから「球渓」というペンネームをつけた。新潟高等女学校赴任中に訳した『旅愁』、『故郷の廃家』が明治40年(1907年)の「中等教育唱歌集」に取り上げられ、現在でも広く歌われている。犬童球渓はこれらの代表作も含めて、生涯に250曲ほどの西洋歌曲の翻訳作詞を残した。彼の訳詞の特徴として、英語からの直訳を嫌い、日本語らしい表現にこだわった点などが挙げられる。1943年、人吉市で自殺。(ウイキ)

旅愁(明治四十年発表)

ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む 
恋しやふるさと なつかし父母 夢路にたどるは さとの家路
ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む

窓うつ嵐に 夢もやぶれ はるけきかなたに 心まよう
恋しやふるさと なつかし父母 思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ はるけきかなたに 心まよう

夜は、これまでの自身の来し方を反省しつつ、酔狂亭で月下独酌。お供は、ちょっと贅沢をして、随分前に岐阜の怪人H川先生より頂いた「農林二号」の四合瓶の封を切った。

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大町桂月の酒。

2017-09-18 13:48:36 | 日記
九月十五日(金)晴れ。

又北朝鮮がICBMと思われるものを発射。トランプではないが、「あいつは他にやることが無いのか」。チキンレースで破滅に向かっているのは、北朝鮮、アメリカ、それとも韓国か日本か・・・。あーあ嫌になっちゃった、驚いた。そんな訳で、朝食は、アジの干物、ハムエッグ、結びこんにゃくと竹輪の煮物。昼は、鮭のカマ焼きをほぐして、おにぎりに入れたもの二個。夜は、ゴゾウ、ロッポウ程度のカツオ、玉ねぎのサラダ、びこんにゃくと竹輪の煮物。お供は「黒霧島」。おとなしく酔狂亭で月下独酌。

お世話になっている方から高知の酒『桂月』を送って頂いた。先日、高知を訪ねた折に、聞いたのが大町桂月のことだった。そのお酒の蔵元は、「土佐酒造」。そこのHPによると、「高知出身の明治の文人、大町桂月をその名前の由来に持つ銘酒、桂月(けいげつ)。先代の土佐酒造社長が大町桂月に心酔していたためこの名前がつけられたそうです。土佐酒造は四国の水がめ「『明浦ダム』で知られる土佐町にある、創業明治十年の蔵元さんです。標高五百メートルの、緑深い土佐嶺北の地。その地の恵みである、豊かな水と澄んだ空気、静寂な自然環境の中で醸し出された
銘酒 桂月は、芳醇でまろやかな酔い心地として全国のファンに愛され続けています」。

高知出身の大町桂月だが、青森、それも愚妻の故郷である深浦に縁が深く、句碑や記念碑、そして「ふかうら文学館」には、青森県出身の太宰治
と並んで「桂月の間」がある。来年は、岳父の法事のために青森に行く。その折には、しみじみと桂月を巡り、日本酒「桂月」に酔ってみるつもり。

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通夜式へ。

2017-09-15 13:56:27 | 日記
九月十四日(木)晴れ。

十二日に亡くなられた西口茂男先生の通夜式が中野新橋にて行われ出席。車で、また一門の誰かを一緒にと思ったが、静かに送りたいと思い一人で向かった。中野新橋と言う所がどの辺にあるのか田舎者の私には分からなかったが、有難いことにPCの「路線」で、最寄りの駅や乗り換えが分かる。五時にお寺に着。知り合いの民族派の方々にご挨拶して、ご焼香を済ます。西口先生からの長年の御厚情に感謝しつつ、ご冥福をお祈りし、駅までの道を歩いた。

中野新橋から、御徒町へ。来月の群青忌に際して、記念品とする扇子を作るにあたって、デザイナーのはが里枝さんらと打ち合わせ。大熊氏の店によると、ちょうど閉店の最中、松本君の奥さんの小枝さんと共に、大熊氏の友人経営する焼き鳥「だるま」へ。さすがに、上野、湯島は地元の大熊氏、とても良いお店だった。二時間ほどいて、男同士で、やはり大熊氏の馴染みの鮨屋「せいじ」に転戦。一時間ほどで解散。

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人生で読んだことのない二冊の本。

2017-09-14 10:39:14 | 日記
九月十三日(水)晴れ。

何度も見たり、読もうと思えば、すぐに読めるのに、これまで全く開いたことのない本が二冊ある。それは「聖書」と「時刻表」である。ホテルに泊まると、ほとんど聖書が常備されているが、日本人でホテルに泊まって聖書を読む人がどれくらいいるのだろうか。何でも、キリスト教の普及のために、ナントカ言う協会が聖書を無償で配っているとのこと。

聖書と言えば、中学生の頃だからもう五十年以上も前のことだが、クラスで読書感想文を提出した時に、ナカノマリさんと言う子が「旧約聖書を読んで」と言うものを書いて、先生から褒められた。その時、私は、聖書などを読むと言う動機や、良くそんな物を読むな、と呆気にとられたことを良く覚えている。頭の良かった彼女は二年生になる時に、横浜は山手にある名門女子中学に転校して行ったが、「聖書」を見る度に、そのナカノさんのことを思い出す時がある。

「時刻表」を読まないわけは、単に私が数字に弱いからである。あの細かい数字が並んでいるのを見ただけで、めまいがしてくる。ちなみに愚妻は、若い頃に添乗員をしていたことがあり、時刻表など、お茶の子サイサイである。今後も、聖書と時刻表を読むことはないと思うが、ホテルは聖書の代わりに、野村先生の句集『銀河蒼茫』でも置いてくれたら、良いのにといつも思うのだが。また時刻表を見なくとも、PCで「乗り換え案内」を開けば、ほとんど用が足りるから有難い。

爽やかな、秋晴れの朝は、サンマの蒲焼、竹輪と結びこんにゃくの煮物、納豆。昼は、上の子供と、伊勢佐木町のラーメン屋「大源」にて、メンマ・ワンタンメン。夜は、憂国の企業家、松本洋三氏とカウンター、トイレ、台所をきれいにした「やまと」で一献。途中から、カメちゃん参戦。その後「愛福楼」へ転戦。一時間ほどで帰宅。

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巨星落つ。

2017-09-13 11:34:20 | 日記
九月十二日(火)雨。巨星堕つ。

午後、パソコンの画面に、西口茂男先生逝去の報があった。しばらく、その画面を開けずられにいた。現実なのか・・・。意を決して記事を見ると、入院中に薬石の功なく、亡くなられたとのこと。正に巨星落つの感あり。野村先生や私たちを陰ながら支えて頂いた、恩人の一人でもある。
土井晩翠の有名な長詩に、「星落秋風五丈原」がある。三国志の諸葛孔明のことを詠んだ詩なのだが、その題名のように、晩翠は、諸葛孔明の最期について「星落つ」と書いた。私は、僭越ながら、西口先生の死を諸葛孔明の死と重ねている。私に詩才があれば、この思いを文字に綴ってみるのだが・・・。最も、私のような浅学の若輩が、西口先生のことを語るなど、誠に持って僭越至極、おこがましいとは承知のことなのだが、ご厚情に感謝し、心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

実は、大悲会の志村馨君が、体調を崩し、急きょ入院。腹水が肺にまで達し、集中治療室へ運ばれた。医者によれば、不整脈が甚だしく、いつ心臓が止まってもおかしくないとのこと。何でも心不全と言うことらしいが、心不全で、腹水がたまるのか、医学の知識のない、私には分からない。今月の二日、来月の群青忌の会議の折に、彼の姿を見て、驚いた。お腹が異常にせり出し、むくみでそれでなくとも大きな彼の体が、更に大きくなっている。歩くのも大変そうだ。すぐに救急車を呼べと言ったが、来週病院に行くとのこと。週が明けて、病院に行けば、即入院。ICUへ。その後、ご母堂からの話では、腹水を一三キロも抜いたそうだ。完全に腹水を抜いてから、心臓の処置に取り掛かるとのこと。近々、様子を見に行ってきます。その時に又、ご報告をさせて頂きます。

下の子供が、旅行から帰ってきた。何日かぶりで家族そろっての夕食。

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