白雲去来

蜷川正大の日々是口実

野村秋介大人命生誕八十五年祭のご案内

2020-01-19 15:02:59 | 日記
一月十八日(土)淡雪の日。

野村秋介大人命生誕八十五年祭のご案内
謹啓 厳冬の候 時下益々御清祥のこととお慶び申し上げます。
 畏くも天皇陛下におかせられましては、昨年十月二十二日に即位礼正殿の儀が挙行され、
国内外に御即位を宣明されました。
 また、十一月に行われた「祝賀御列の儀」では、天皇皇后両陛下のお姿を直接拝見でき
るとあって全国から大勢の人々が祝福に参じました。
 私たち日本国民は、新たな気持ちで一層の皇室の安寧と弥栄をお祈り申し上げ、変わる
ことなき正しい皇位継承の存続に努めたく存じます。
 本案内は、この二月十四日で「八十五年」となる野村秋介先生の御生誕をお祝いすると
ともに、この一年の来し方を御霊にご報告申し上げることを本旨としております。
 我が一門では、昨年、民族派運動の本体である「大悲会」の五代目会長に志村馨が就任
し、この度その奉告も行う予定です。
 そして、有縁の皆様と共に新たな誓いを立てる場として「野村秋介大人命生誕八十五年
祭」を斎行いたしたく左記の通りご案内する次第です。
 御多忙の折とは存じますが、お繰り合わせの上ご参集賜りますようお願い申し上げます。
                                       謹白
        令和二年一月吉日
   記
一、日時 令和二年二月六日(木) 午後五時半開始
      「生誕祭」 斎主 加藤登美  典儀 本多菊雄
      【直会】  午後七時~九時(会場近隣の居酒屋にて)
二、会場 X FLOOR 川崎市川崎区小川町二の七 五階
     電話 ○四四(二〇一)九六五〇 JR川崎駅東口(さいか屋方面)
三、会費 七千円(玉串料及び直会費として)
     なお、準備の都合上、ご出欠の連絡は必ず一月三十一日までにお願い致します。
生誕祭実行委員長          大熊雄次
生誕祭実行委員 山崎一弘・松本佳展・松本紗枝
世話人                蜷川正大

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昭和は輝いていた。

2020-01-19 12:49:42 | 日記
一月十七日(金)曇り。

朝からカレーうどん、オムレツ。うーん何となく朝食が昼食みたいで元気が出る。昼はコンビニの焼きそばパン。夜は、吉田橋の鶏肉専門店の「梅や」で買ったチキンカツ、キャベツの千切り添え、もう一品は鶏のから揚げ。お供は二十度の宮崎の焼酎をレモンスライスをいれたお湯割り。

BSテレ東の武田鉄矢の司会の「昭和は輝いていた」という番組が好きだ。今回は、岸洋子、藤圭子、青江三奈の特集である。岸洋子の歌は、ああ聞いたことがある。と言う程度で、申し訳ないがそれほどの思い入れはない。藤圭子は、ほぼ私と同世代だ。その昔、と言っても十代の後半の頃に鶴見のレコード屋でアルバイトをしていたことがあった。その時にデビューしたばかりの彼女がキャンペーンでやってきた。第一印象は、随分小柄なほっそりした子だな。と言うものだった。しかし、その頃の私は、R&Bやクリーム、ジョンメイオールといったモダンホワイトブルースなどに凝っていて、流行歌などには全く興味の外だった。従って、その後に彼女があれほどの人気歌手になるなんて、思いもしなかった。

当時、洋盤で人気があったのはショッキングブルーの「ヴィーナス」。レコード店と言うのは、在庫をメーカーに注文するときには「レコード番号」を通す。もう半世紀ぐらい前、それもわずか半年程度バイトをしていただけなのにその「ヴィーナス」のレコード番号だけは良く売れていただけに覚えている。確かDP-1694だった。ちなみにDPはポリドール・レコードの洋盤の略。

「昭和はー」の最後の歌手は青江三奈。彼女の「伊勢佐木町ブルース」が流行ったのは昭和四十三(1968)年で、私は十七歳だった。やはり洋楽に凝っていた私には、地元を歌ったあの独特な歌詞と彼女の歌い方を「恥ずかしい」と感じた。青春の真っただ中にいた当時の私には、到底受け入れることのできない、「ヨコハマの歌」だった。しかし、半世紀が過ぎて、藤圭子や青江三奈の歌を肴にして酒を飲んでいる私がいる。曲の中にその歌が流行った当時が甦って来るのだ。テンプテーションズやオーテイスやサムクックなどよりも何倍も過去に重なる。それも鮮明に。あの頃のあの人たち、あの娘、あの街、あの店・・・。

久しぶりに眠れずに、書棚から向田邦子の『想い出トランプ』出して読んだ。最終頁に、「昭和五十八年九月一日読了」の書き込みがあった。

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不思議な寒中見舞い。

2020-01-17 13:24:03 | 日記
一月十六日(木)晴れのち曇り。

天気予報では、良い天気なのは、午前中だけで、午後から曇りとなる。と言っていたが、正にその通りで、昼を過ぎたなら、太陽が雲に隠れて、あっという間に灰色の午後となった。むむむ天気予報おそるべし。

遅い朝食は、カマスの干物、筋子、白菜のおしんこに大根の味噌汁。昼は、菜香のちまき。夜は、ホタテのアヒージョ、山芋の「だし昆布つゆ」漬け、菜香で買った「焼豚」のネギ和え(薄く切った焼豚とネギをゴマ油、味の素、醤油で味付けしたもの)

そういえば、どなたからか「寒中見舞い」を頂いた。「どなたからか」書いたのは、私宛であることは間違いないのだが、とこの誰だか、何も書いてないのだ。まあ故意ではないだろうが、正直言って気味が悪い。まさか「不幸の寒中見舞い」ではないだろうが、困ったものだ。

頂いた年賀状や暑中見舞いを捨てられずにいる。「はがきホルダー」に入れて事務所に置いてあるのだが、整理が悪くて、一ケ所にまとめてない。十年以上は確実にあるのだが、どこにどの年のものが・・・。ちゃんとしなければと常々思ってるのだが。考えてみれば鬼籍に入られた方からのものも多い。そのうちに、そういった方の年賀状を、「会者定離集」としてまとめてみようと思っている。


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孤 舟 蓑 笠 翁(こしゅうさりゅうのおう) 。

2020-01-17 12:18:16 | 日記
一月十五日(水)雨のち曇り。

知り合いから白菜を頂いた。この時期の白菜はとても美味しい。納戸から漬物専用の容器を出して、昆布やリンゴの皮、塩、唐辛子を挟んで漬けた。明日には「早漬け」のものが食べられる。楽しみである。白菜漬けと言えば、有名な「山東菜」があるが、最近ではスーパーなどではほとんど見かけなくなった。

朝食は、筋子、家族のお弁当の残りの「鳥スキ」にもやしの味噌汁。昼は、「ちまき」。夜は、古いおつきあいをさせて頂いている友人と、今年初めての「浜一寿司」へ。刺身の盛り合わせと、銀だらの西京漬けを肴に「黒霧島」を「お湯割り」にして恐る恐る飲んだ。正月以来体調が余り良くないので、「焼酎リハビリ」と言ったらお店の人たちが笑っていた。

そういえば、札幌の社友の梶浦直樹君は、ここ数年釣りに凝っていて度々彼のフェイスブックにその釣果をアップしている。しかし、この時期の夜釣りである。横浜だって寒いのに、彼が住んでいるのは札幌。おそらく零度を下回る夜中に良くやるなぁー。というのが素直な感想である。私も釣りは好きだが、向こう合わせの「投げ釣り」はしない。堤防での「ふかせ釣り」専門てある。といってももう十年ほど釣行していない。愚妻が値段を聞いたなら目を三角にして怒り出すような黒鯛専用のカーボンロッドやリールをいくつも持っているが、文字通りの宝の持ち腐れ状態となってる。

先日、家族で「バーミヤン」にて食事をした。何気なしに壁を見たら漢詩が飾ってあった。「孤舟蓑笠翁」、と「独釣寒江雪」が対になっているものだ。唐代の政治家、柳宗元の『江雪』という漢詩の一節で私の好きな詩でもある。ちなみに「江雪」とは、川に降る雪を表現している。

孤 舟 蓑 笠 翁
小船の上では、蓑笠をかぶった老人が
独 釣 寒 江 雪
雪の降る寒い川で、たった一人で釣りをしている

老婆心ながら、その漢詩と梶浦君がダブって、ふと風邪をひかなれければ良いのだが、と思った次第。

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『まず一献』よりも、『まず結婚』!

2020-01-15 11:53:12 | 日記
一月十四日(火)晴れ。

朝食は、筋子、清風楼のシュウマイ、わかめの味噌汁。昼は、菜香で買った「ちまき」。夜は、手羽先の塩麴蒸し、マグロの刺身、珍しく「黒霧島」をお湯割りで三杯だけ飲んだ。

録画しておいた「もう一つのシルクロードー」、「詩・旅情編」と「詩・戦火」の二編を酒の肴にして見た。シルクロードの出発点であった長安(現在の西安)から河西回廊を通って敦煌へ。かつて匈奴と戦った悲劇の将軍、李陵や驃騎将軍・霍去病や匈奴に嫁いだ王昭君などの漢詩を詠みながらその足跡をたどる。もうそんな長旅をする体力も金力もないが、せめて西安だけには行ってみたいと思っている。思い切ってNHKの「シルクロード」のDVDセットを買おうかな。

旧知の森田忠明さんから季刊『経綸』をご恵送頂いた。その中の、「会者定離」という一文の中に、昨年の十一月三十日に亡くなられた、元国民新聞の山田恵久さんのことが書かれていた。私は山田さんとも古い知り合いだが、森田さんのように共に海外に出たり、個人的に酒席を共にしたということはない。旅行と言えば、お世話になっている方が、毎年、森田さんや私などをご招待して頂いている「日本を糺す会」にて、箱根や熱海の一泊旅行で一緒になるくらいか。先日、その折の写真を見て、とても懐かしく思った。山田さんは豪放磊落というイメージの強い人だが、先に奥さんを亡くされ、その時に詠んだ歌が、しみじみした、とても胸を打つものであったことを覚えている。享年七十六歳とのこと。合掌。

その森田さんから、来月の八日に、「一般社団法人・日本経綸機構」の創設のお祝いの案内状が届いた。もちろん出席するつもりでいる。森田さんのお祝いと言えば、その昔、森田さんが『まず一献』という本を上梓し、その出版記念会の席上、祝辞を求められた野村先生が、当時は独身だった森田さんに、「森田君。『まず一献』よりも、『まず結婚』。と言って会場を沸かせたことを懐かしく思い出す。

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