白雲去来

蜷川正大の日々是口実

伊豆高原の風花。

2020-01-27 17:13:31 | 日記
一月二十二日(水)曇り。

暮に盟友のお世話で伊豆高原で断食を行った。伊豆は天城山があるからだろうか、晴れているのに雪が舞うことがある。この晴天にちらつく雪を「風花」という。『歳時記』によれば、「遠方の山岳附近に風説が起こっていて、それが上層の風に送られて、風下の山ろく地方に飛来する現象」を言うとある。普段、雪など見ることのない街にいるせいか、たまにの雪にも心が躍る。

朝食は、コロッケ、赤ウインナー、マカサラ、大根の味噌汁。昼は、「チャルメラ」。夜は、手羽餃子、赤ウインナー、湯豆腐。お供は、「黒霧島」をお湯割りでやった。

コロナウイルスとやらで世界が震撼している。夏のオリンピックが心配である。小林旭に頼んで「ここらでやめてもいいコロナ」(若い人は分からないかもしれません)と歌って貰おうか。

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「獺祭魚」と号した李商隠。

2020-01-27 16:40:14 | 日記
一月二十一日(火)晴れ。

泊りで修理に出していたプリンターが午後に戻て来たので、騙し騙し印刷をした。今週中には最新号を発送できそうである。朝食は、マグロのみそ漬け、コロッケ、豆腐の味噌汁。昼は抜いた。夜は、豚肉鍋に、〆はラーメン、こんにゃくの田楽。

過日、友人と食事会を兼ねて一献酌み交わした。その友人は、「今日は飲むぞ、と決めた日は『獺祭』にする」と言って、美味しいそうに飲んでいた。私もご相伴にあずかったが、いやー美味かった。普段は、血圧や糖分を気にして日本酒は飲まないのだが、今日はお付き合いした。その日本酒の『獺祭』だが、ちょっと調べてみたが、カワウソが漁った魚を岸辺に並べる習性を祭祀の供物にたとえた表現。転じて、机に文献をずらりと並べて調査あるいは引用するさまをたとえた故事成語。「獺祭魚」とも呼ばれる。

語源は、晩唐の詩人李商隠が、文章を作るのに多数の書物を座の周囲に置いて参照し、自ら「獺祭魚」と号したところから、詩文を作るとき、多くの参考書を周囲に広げておくことから来ている。先日読んだ向田邦子の『思い出トランプ』の中に、「かわうそ」と言う一文があるのを思い出した。日本酒の『獺祭』だが、その気になって友人と飲んでいたら、全国チェーンの居酒屋にもかかわらず、エッという値段になって、酔いが醒めた。

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プリンターが調子悪い。

2020-01-23 15:42:12 | 日記
一月二十日(月)晴れ。

機関誌の印刷に追われているのにまたプリンターが故障し、メーカーに来てもらった。結局は直らず持って帰って修理ということになった。原因は、紙詰まりを直したら、今度は用紙を送れなくなった。故障の具合は、パソコンによるとF4ということ。つまり表示されているのは「紙詰まり」なのだが、ユニットを外しても「紙詰まり」はない。機関誌の最終段階に入っての故障は嫌になる。当然それだけ発送が遅れるからだ。

印刷枚数が多いので、我が家の機関誌専用のプリンターはリースなのだが、考えてみれば、ほぼ毎月、使っているプリンターを買えるくらいのリース料なので、大事な時の故障は正直言って頭が痛い。今使っているものよりも少々高いのだが、もう一段性能の良いものにしようか思案中である。

イライラしても仕方がない。朝食は、サンマの干物、青さ海苔、わかめの味噌汁。昼は、ソースチャーハン。夜は、名前だけまじめな月に一度の会合を、横浜は馬車道の「日本海庄屋」にて開催。十名が出席。値段の割には、おいしかった。紹介して頂いた友人に感謝。終了後は、有志にて関内へ転戦。今年初めての狭斜の巷へ顔を出した。

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旅の心得。

2020-01-22 06:55:08 | 日記
一月十九日(日)晴れ。

何か一月は長いような気かする。私だけかもしれないが、まだ十九日かよ・・・。まあこの歳になれば、のんびりと日が過ぎて行くのは良いことかもしれない。朝は、お粥に肉野菜炒め、スパサラ。脈絡のない食事だ。昼は、肉まん一個。夜は、「やまと」にて「オアジ」の新年会に愚妻と出席。オアジの常連というか「やまと」の常連さんというか、皆さん顔見知りの人たちばかりである。揚げ鳥、焼き鳥、鳥鍋のフルコースを堪能。しばらく飲んでから仲良しさんと「一休」へ転戦。久しぶりに沢山飲んだ。

飛行機に乗った時、電車で遠出をするときなどに、あまり肩の凝らない本を持ってゆく。そんな「旅の本」を常に五、六冊キープしてある。書店に行ったときなど「いつか読もう」と思って買っておく。ほとんどが文庫本である。浅田次郎さんがJALの機内誌に連載をしている『パリわずらい江戸わずらい』(集英社文庫)が面白い。最初の文章は「旅の支度」。そこに「パスポート・エアチケット・クレジットカード」それぞれの頭文字をとって「PAC」。「パック」と覚えるそうだ。「何を忘れてこようが、この三つさえあればとりあえず旅は続けられる。もし一つでも欠けようなものなら、中止もしくは中断である」。

野村先生と初めて海外に出たのは香港だった。出発する何日も前から「外国に行ったならパスポートは命の次に大切なものだから、絶対忘れたり、失くしたりしてはいけない」とくどいほど言われた。その先生が、成田に着いときパスポートを忘れたことに気が付き、奥様が川崎からタクシーを飛ばして成田まで届けたことがあった。この顛末はいずれもう少し詳しく書いてみたいと思っている。

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淡雪の日と書き入れし 獄日記。

2020-01-20 12:29:51 | 日記
一月十八日(土)雪後雨。

野村先生の句集『銀河蒼茫』に、「淡雪の日と書き入れし 獄日記」。がある。寒いな・・・。と思ったら案の定、積もるほどではない雪が舞っていた。雪国の人たちには申し訳がないが、ヨコハマなどで見るたまにの雪もいいものだ。そんな寒い朝の朝食は、細うどんを野菜をたっぷり入れたタンメン風にして食べた。昼は、珍しく甘いものが食べたくなってアンパン。夜は、豚肉鍋、「魚久」のイカの味噌漬け、シイタケ焼き。宮崎の二〇度の焼酎をお湯割りにして飲んだ。

やはり野村先生の『銀河蒼茫』の冬の句の中に「恍惚と寒し青夜のもがり笛」がある。わが陋屋(ろうおく=むさくるしい家)は、建物の関係か風の通り道となっており、少しの風が吹いても風音が気になって仕方がない。有難いことに、周りは建売の住宅が多いせいか、風が通る音だけしか聞こえないが、一昔前ならば、竹でや丸太で組んだ垣根などに当たって、まるで笛を吹くような音が聞こえたものだ。この音を「虎落笛(もがりぶえ)」と呼ぶことを知ったのは大人になってから。

「虎落」の「もがり」とは、竹を筋違いに組み合わせた冊のことを言う。語源は、大昔は、人が死ぬと、その屍(かばね)を一定期間据え置いたと言う。その仮の葬儀場を囲む柵のことを「もがり」と呼んだそうだ。それがなぜ「虎」の字に当てられたのかは、不明である。(私が知らないだけなのかもしれない)この虎落笛の音は、「鳴る」よりも「唸る」という形容の方がふさわしい。「風が唸る」。書いているだけで寒くなる。

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