12月14日(月)晴れ。志士討ち入りの日。
禄15年(1703年)未明に本所・吉良邸への討ち入りに及び、見事その首級をあげる。そしてその後の浪士たちの切腹までの一連の事件を総称して、今日の史家は「赤穂事件」と呼んでいる。(ウイキ)。雪でも降っていたら気分は忠臣蔵なのだが、良い天気である。
「忠臣蔵」の映画が史実に忠実かどうかは分からないが、一番好きな場面は、「南部坂雪の別れ」だ。
元禄15年(1702)、大石内蔵助は討入りの前日、南部坂の屋敷に暮らす瑤泉院に会いに行きます。明日未明の討入り決行を伝え、同士の連判状を渡すとともに、内匠頭の霊前に報告をしたいところですが、屋敷内に吉良方の間者が潜入している可能性があり、それもなりません。
「さる西国の大名に召抱えられることになりました。再びお目にかかることもないかと存じます。本日ここに東下りの旅日記を持参いたしました」と断腸の思いで偽りを伝えます。「忠義の心も忘れたか」と怒り、席を立つ瑤泉院。黙って辞去した内蔵助は、降りしきる雪の中、今生の別れを背中で伝えて坂道をゆきます。
しばらくの後、内蔵助が置いていった旅日記が、実は連判状であったことに気づく瑤泉院のもとに、討ち入りの知らせが届きます。大石の別れの意味を初めて悟った瑤泉院は、短慮を悔い、亡き夫の霊前に合掌するのでした……。(歴史ヒストリー)様々な女優が瑤泉院をやったが、私は松坂慶子の瑤泉院が一番好きだ。
自宅はまだリフォーム中。不便だけれども、有難い話である。夜は、おとなしく酔狂亭にて独酌。