12月9日(木)曇り。
久しぶりの更新でスマン・スマンのオスマンサンコンです。朝食は、野菜スープ、筋子、明太子。ふむ贅沢である。昼は、特のりタル弁当に豚汁。夜は、鳥鍋、紅鮭。お供は「黒霧島」。
我が家は、決して謙遜ではなく、文字通りの陋屋(ろうおく=狭くてみすぼらしい家)何といっても築30年近い。リビングの床はベコベコ、壁紙はボロボロ。見かねた友人が一肌脱いでくれた。今日からフローリングの張替工事。荷物を動かしたり、かなり大変だが、きれいになるのは嬉しいことだ。そんな訳で一日家にいた。
12月9日(木)曇り。
久しぶりの更新でスマン・スマンのオスマンサンコンです。朝食は、野菜スープ、筋子、明太子。ふむ贅沢である。昼は、特のりタル弁当に豚汁。夜は、鳥鍋、紅鮭。お供は「黒霧島」。
我が家は、決して謙遜ではなく、文字通りの陋屋(ろうおく=狭くてみすぼらしい家)何といっても築30年近い。リビングの床はベコベコ、壁紙はボロボロ。見かねた友人が一肌脱いでくれた。今日からフローリングの張替工事。荷物を動かしたり、かなり大変だが、きれいになるのは嬉しいことだ。そんな訳で一日家にいた。
12月8日(火)晴れ。開戦記念日。
暖かい静かな開戦日(X日)。待ちに待ったその日はついに来た。午前三時というのに自然と目は覚め、起き出して一服していると、当直でかつ航空掛かりの佐々木参謀が大急ぎで飛び込んで来て、「三時十九分(ト)連送です」と報告す。すなわちハワイに近迫せる機動部隊の飛行機二百機が、真珠湾に対して突撃を下命せるなり。飛行機の電を直了せるところ、鮮やかなるものなり。
それから作戦室に座り込んで、来る電報、電報に耳をそばだてる。飛行機上よりする「我、敵戦艦を雷撃」「我、ヒッカム飛行場を攻撃、効果甚大」などの味方電報と併せ、敵の平文電報の発信が最も興味を引き、戦況は手に取るように分かる。以上は、宇垣纏の『戦藻録』に書かれた、昭和十六年の今日の日記である。
今朝も、「暖かい静かな」日である。已むに已まれず決然と起った、昭和十六年のこの日を日本人は忘れてはならないと思う。通称、東京裁判において、インドのパール判事は、米国側が我が国に対しての最後通告、通称「ハル・ノート」に対して、こう述べている。
「『現代の歴史家でさえも、次のように考える事ができる。すなわち、今次戦争についていえば、真珠湾攻撃の直前に、アメリカ政府が日本政府に送ったものと同じ通牒(注・ハル・ノート)を受け取った場合、モナコ公国、ルクセンブルク大公国のような小国でさえも、アメリカに対して武器を持って立ち上がったであろう』と述べ、日本の指導者たちが愛国主義である限り、アメリカの苛酷なる最後通牒を退けて、立ち上がらざるを得なかったのは当然であり、日本にとって、生存の為自衛の為、やむを得ない措置であったとしている」。
野村先生は、自決の際にしたためた檄文「天の怒りか、地の声か」の末尾に、こう書いている。「いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真の意味が何であったかは、後世の歴史家が明らかにしてくれるであろう」と。深く先人を思う・・・。※写真は、「赤城」が傍受した「ニイタカヤマノボレ」と、「我、奇襲に成功せり(トラトラトラ)」の電文。
12月7日(月)晴れ。
何の心配もせずにのんびりと寝ていた。体調は良い。盟友に感謝である。昼食に近い朝食は、ホットモットの「特のりタル弁当」、今だけ百円の「豚汁」。夜は、ロースハムのキャベツの千切り添え、サバの文化干し。ノンアル一本で休肝日とした。
昨日、断食から帰宅後に事務所に行き、郵便物の確認をしたり荷物の整理をしたりなどわずか四日ぐらいしか家を空けていないのに、こまごまとした仕事が山積。頑張ったが片付かなかった。夕方、愚妻を誘って、川崎の「中山」にて開催された一門の納会に出席。生憎先生の奥様が体調を崩して欠席。(流行り病ではありません。為念)他、三名が欠席したが、それなりに楽しい納会となった。私は断食明けなので、恐る恐る飲んだ。早めに帰宅。
12月6日(日)晴れ。
今日で断食は終わり。最初に断食に来たのは、アルバムを見ると2007年のことだから、もう13年も来ていることになる。断食に来る前、体重が三桁に届きそうになった。当然ながら、血圧、血糖値なども最高で最悪。それを知った盟友のオキ氏が「先輩このままでは死にますよ」と断食に連れて行ってくれた。
当時は一週間。初めて行った時の辛かったこと。本当に倒れそうになった。四日目ぐらいに、耐えきれずに隠れて「オロナミンC」を一本飲んだ。正直言って、これが効いて、決して大げさではなく体に力が漲ってくるのである。スープぐらいしか食していないので、体がピュアになっているのか、普段は、飲んでも何も感じないが、この時は効いた。
一週間でマイナス7キロ減。これには自分でも驚いた。帰宅してから、掛かりつけの医者に言ったら、数値がガクンと下がっているので、医者も驚いていた。その後、リバウンドを繰り返しながら、今は、落ち着いている。まあ決して大げさではなく、断食に誘ってくれなかったら、どうなっていたか・・・。感謝している。
初めて参加したI氏は。「いゃーいいですね。癖になりそうですよ。またすぐに来ましょうよ」。オキ氏と私は、すぐは勘弁して下さいよ。
12月5日(土)雨。
山頭火の句に、伊豆はあたたかく野宿によろし波音も。というものがある。山頭火のよき理解者である大山澄太の揮毫による句碑が下田の泰平寺にあるが、私が見たのは下田の「伊豆松陰」という料理屋の入り口にある句碑。好きな店だが、もう随分と行っていない。
断食の宿、「やすらぎの里」は伊豆高原の別荘地にある。山頭火の句とは裏腹に、高原と付くだけにかなり寒い。部屋も一日中暖房を入れている。おまけに今日は雨。朝食の「大根のスープ」を飲んでから部屋に閉じこもって、様々な手紙を書いたり、飽きればネットフリックスで映画を観たり暇をつぶす。
「パピヨン」という映画を観た。その昔、スティーブ・マックイーンが主演したものを観たが、新しいものもなかなか良かった。夜は、「重湯」。食後は、佐藤春夫の現代語訳『方丈記』(岩波書店)を読む。考えてみれば学校で習ったぐらいで、さわりは知っていても読んだことは無い。現代語訳が出ていることを知って読んでいる。
今日で断食も三日目。酒が抜けたのは良いが、中々眠れない。