スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

シンガポール航空国際カップ&身体の秩序

2010-05-17 19:29:39 | 海外競馬
 日本時間昨夜10時前,シンガポール航空国際カップGⅠがあり,日本からは2007年のこのレースの覇者であるシャドウゲイトと,昨年の札幌記念でブエナビスタを降して優勝したヤマニンキングリーの2頭が渡航しました。
 動画にはありませんが,シャドウゲイトはゲートに入った後で暴れてしまい,外傷を負ったとのことで競走除外。走ったのはヤマニンキングリーのみ。後方外目の位置取り。4コーナー手前では最後尾に下がり,何の見せ場もないまま最下位に敗退しました。
 シャドウゲイトは2007年に勝った後,かなり調子を落としていましたが最近になって復調。年齢的に当時と同等の力まで戻っていたかどうかは分かりません。しかし2007年と今年では段違いで今年の方がメンバーが強く,同じだけの力を取り戻していたとしても,勝ち負けまでは難しかったのではないかと思います。ただ走れなかったのは非常に残念。ヤマニンキングリーは能力的にはシャドウゲイトよりも劣ると思われますので,最下位はともかく,勝負に加われなかったこと自体は仕方がないのではないでしょうか。
 勝ったのは南アフリカのLizard's Desire。ドバイワールドカップ,クイーンエリザベスⅡ世カップと連続して2着だった馬で,初のGⅠ勝ち。ここは展開が両レースよりも向いた気がします。

 こうした一般的帰結を得ることができれば,これを現在の考察と絡めることによって,今度は次のように考えていくことができます。
 スピノザの哲学を特徴づける平行論における同一個体というのは,第二部定理七により,原因と結果の連結と秩序は完全に一致します。したがって僕たちはAについて考える場合に,Aを形相的なもの,といっても人間が認識する形相的なものは第二部公理五により物体だけですから,Aを物体ないしは物体の延長作用,すなわち運動あるいは静止という観点から考えても,あるいはAを客観的なもの,要するにAの観念あるいはこの観念が観念であるかぎりおいて含んでいる肯定である意志作用として考えても,さらにはAを人間が意識するもの,つまり観念の観念として考えても,結局のところ同一の結論を得ることができるということになります。これは第二部定理七の備考の中でスピノザが述べていることと同じです。
 そこで,これまで,我慢の秩序というのを客観的なもの,すなわち意志作用として考えてきたのですが,これは人間の身体のある運動と考え,その観点から考察しても構わないということになります。実際のところ,人間の精神によるある種の外部の物体の知覚は,経験的な観点からいって,確かに人間が排尿という運動を我慢する意志作用ないしはこの意志作用によって肯定される観念の部分的原因となっているということについては疑い得ないものの,しかしなぜある種の知覚はこの意志作用の部分的原因となるのかということをきちんと論理的に示すことはそうも容易いことではありません。そこで今度はこの点について観点を変え,我慢というのを人間身体の秩序として考えていくことにします。おそらくこの方が,いかなる秩序によって我慢という運動が人間の身体のうちに生じ,そして人間の精神はこの自分の身体の状態を知覚するのかということを,より簡単に,理解しやすい方法で説明できると思われるからです。
コメント
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